東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/7/31

それで  文学

こんなことも始めてみました

http://Bookjapan.jp/

2008/7/30

7月30日  文学

城山三郎「毎日が日曜日」を読んでいる

まだ前半を終えたばかりなのだが
企業戦士の魑魅魍魎をうまく描いていて
もとサラリーマンの私も頷くこと然り
記憶が定かであれば 
かつてTVドラマにもなっていたような

一応前半のストーリーを追っていくと
総合商社に勤務の沖という主人公が
やや左遷というニュアンスを含まれながら
丸の内の東京本店から京都支店に単身赴任する
ことから 物語は始まっていく

困惑する沖の家族や 社での人間関係を含めて
主人公が50歳まえと まさに私と同じなので
まあ シンパシーを感じる次第

その沖と対照的に書かれるのが
定年後の悠々自適を謳歌するように見えて
実は孤独に苛まれている笹上であったり
現社長と相談役との会社をめぐる微妙な
価値観の違いも 伏線となっている

ただ思ったのは
これもまた 今より鷹揚な時代というか
高度経済成長の時代の小説だな ということ
今であれば
会社に対する位相もまた異なるであろう

主人公が後半どういう経路になるのか
また笹上のその後がどうなるのか
後半は明日から 読んでいこう




2008/7/21

聞き手という主人公たち  

天辰保文さんが『ゴールド・ラッシュのあとで』
(音楽出版社)を上梓された。これまでも氏が
書かれた本は幾つかあったけれども、ここでは
30年以上にも及ぶ執筆活動のなかから、自らが
選び抜いたという文章が多数収められている。
それでも21世紀になってから書かれた原稿が多
くを占めていることは、天辰さんの現役感を伝
えるだけではなく、いやむしろ、時の流れとと
もに、より丹念に、より無駄なく言葉というも
のに向き合ってこられた様子が、夕暮れの海辺
に吹く風のように感じられて、心地好い。

音楽について書かれる言葉とは一体何だろう?
僕自身、日頃からぼんやりと思いを巡らせるこ
とでもあるのだが、たとえば自分がまだ中学や
高校生だった時に聞き始めたロック音楽は、
振り返ってみれば、いつもはっきりとした輪郭
を描き出したり、もっともらしい言説を伴った
りするものではなかったことに、思い至る。

音楽を聞くことで自分という井戸に生まれてく
るきしみ。あるいはさざ波のような何か。そう
したことに対して天辰さんの文章は、とても丁
寧に時間を与え、光や影といった陰影さえも鮮
やかに引き出していく。もっとありていに言え
ば、最初にビートルズやニール・ヤングを耳に
した時の感覚を、ずっと忘れずにいるような。

若さにまかせて語ることの野暮や傲慢に注意深
く背を向け、また説明的な言葉が必ずしも音楽
という抽象を捕まえるわけではない、という思
いをそっと胸に秘めながら、天辰保文さんは音
楽の言葉を手繰り寄せ、宝石のように輝かせて
いく。

どうか読み取ってほしい。氏とほぼ同世代とな
るジェイムズ・テイラーについての考察を。あ
るいはもっと若い人である中村まりの歌に心を
重ね合わせていく柔らかさを。そこには自分の
日常と深く切り結ばれた音楽が確かに聞こえて
くる。新旧とか権威とかに与することなく架け
られていく橋のような、感情の濃やかな流れや、
静かな情熱が感じられる。

音楽とは歌い、演奏する者だけが主人公なので
はない。そう、もうひとつの主役とは言うまで
もなく聞き手なのである。そんな幸福な関係性
に気が付くだけで、もはや語り尽くされたかの
ようなロックという言語は、きっと再び息を吹
き返すことだろう。

聞き手が時間という試練のなかで掴んでいくも
の。育んでいくもの。この書は常にそうした視
点を宿しながら音楽を見つめ、また音楽に投影
された自分を見つめ続けてきた人が、旅の途上
で記した報告記なのかもしれない。


2008/7/20

戦う作家、桐野夏生  

もはやミステリー作家という枠を超えているのが 
桐野夏生さん 現代的な様相を主題に据えた『メ
タボラ』は 僕自身深く考えさせられた作品だった
そんな桐野さんが朝刊の広告に連載で談話を寄せて
いる 先日僕が引用したとうようさんの発言や僕
が日頃考えていること そして路傍さんが寄せて
くださったコメントにも通じることが書かれていた
ので 以下抜粋したい

*     *     *

現代の若い人の息苦しさは、相当に厳しいものだろう
と感じます。
グループや集団のなかで、その場でのお約束ごとは
何だろうか、と見極めることを暗に要求されている
状況があると思います。「KY(空気が読めない)」
という言葉は、まさにそのことを指しているのでし
ょう。
先日、誘われてカラオケに行きました。ボックスでは
なくて、お店に来た人全員が一つの画面を見て皆のまえ
で歌うタイプのお店だったのですが、集まった人々のな
かにはなんとなく歌の流れがあるのです。たぶんその
雰囲気を読んで歌を選ばなくては皆がシラける、という
感じでした。そんなカラオケ店でさえそうですから、
若い人たちや学生さんたちの集団では、さらにKYの
レベルが厳しいのだろうと思います。
聞いた話ですが、クラスのなかに小さなタコツボの
ようにいろいろなグループが存在していて、互いに
相容れない。そしてその仲間から外れるとどこにも
入れないそうです。そういうところで生き抜いている
から、アバウトに、おおらかにとはいかず、必死に
空気を読み、放り出されないようにしているのでしょ
うか。
集団の建前に従っていくというのは、つまらない
息苦しい社会ですが、建前や約束事をかき乱す者は
嫌われるようです。でも私はそれを出来る人を好ま
しいと思います。自分もそうだったからでもあります
が、ただただ同調するのは実に気持ち悪いものです。
「トラブルを起こしている」と言われても、自分の
気持ちを率直に言わないと、自分自身が汚れている
ような感覚に囚われませんか。嫌な目に遭うことに
なるし、消耗もしますが、でも、ここぞという時に
は踏ん張る気持ちを持って欲しいです。

*     *      *

桐野さんの公式ホームページは
http://www.kirino-natsuo.com/

2008/7/19

7月16日のニコリンボ  

印刷会社から上がってきたばかりの拙書を
ばしこちゃんがわざわざ持ってきてくれたので
江古田のレストラン「PEACE」http://www.peace-peace.net/home.htmlにて 夕暮れ時
ささやかながら祝杯を(むろん彼女は勤務中なので
アイスコーヒーです 念のため^0^ 僕はビール〜
スミマセン!)
ちょうど一年間 お疲れさまでした!

今回の『UK』編は『US』以上に気合いを入れたので
僕としては何の悔いもありません
もう我が子のように愛おしい書に仕上がりました
発売まで あと少しだけお待ちください

思えば『ソングス』復刊のお話も
彼女の上司が僕のブログを見つけて
連絡をいただいたのがすべての始まりでした
その本を含め ばしこちゃんには計3冊の編集を
2年にわたって 担当していただいたことになる

しかしながら いろいろな方が僕のブログを見て
いただいていることを 最近改めて実感する
先日も とある方から「それでは ぜひうちで」と
原稿の依頼をいただいたばかり(詳細は後日)
こればっかりはネット時代のいい側面だと思う

会社を辞めてから2年
いやあ そりゃ経済的には厳しいっすよ(苦笑)
でも  こうして人との出会いがあったからこそ
持ちこたえてきたのだと思う
路傍さんもナイス フォローをありがとうございます

というわけで 世間でいう「定年」まで
あとおよそ10年ですが
死ぬまでロン ウッド『ナウ ルック』を愛します(笑)










2008/7/16

7月15日のオコリンボ  

打ち合わせに編集者が45分も遅刻したので
普段は大人しい私も 判断を下さざるを得ず
その方が到着するやいなや決心し
本日は帰らせてもらう意を伝え 席を立った

この日は初見となる方も含めた三人での初顔合わせ
その初めての方には大変な失礼だったとは思うが
(その方もだいぶお待ちになったとか)
こんな状態ではいい意見交換も出来まい


私は人を待たせるのも 人を待つのも大嫌いだ
だからせめて そういう気分を相手に与えないために
なるべく時間前に到着することを心掛けているのだが
出版業界には ルーズな方が少なくないし
忙しさを平気で方便にする輩もいる
実際 そんな状況で詫びられると
私自身つい「いえいえ、大丈夫ですよ」と言ってしまう
場合も 情けないことに多かったりもする
(これが案外ストレスになる)

しかし ”信頼関係” と ”馴れ合い” とは違う
昨夜のように 自分の見解を辛辣に伝えることも
まだ若く可能性のある相手を思ってのこと
あたかも遅れるのが当たり前だといわんばかりの
スレた出版人になってほしくない故の
苦言を どうか判ってほしい

思えば僕らは時間の感覚に麻痺していないだろうか?
好きなライヴや好きな映画に遅刻して入ってくる人を
「ああ、迷惑だよなあ」って感じるでしょ?
いや もっと若い時は もっと敏感に感じたはずだ
そしてインタヴュー相手に45分待たせるというのも
まず あり得ないお話である

ちなみにチャック ベリーも時間に厳しい人
来日時のステージに遅刻した日本人ドラマー
を怒り ドラムス抜きで演奏を始めたというのは
実は有名なお話
これぞチャック大先生の哲学 プロ意識なのである
そのドラマー氏の遅刻が
わずか ”5分” だったといえども

そしてベリー先生なら 例のギターを弾きながら
こう言うだろう
「この俺様を5分も待たせるなんぞ 10年早いぜ!」と












2008/7/13

way to go  

さらに とうよう氏は
75年11月号でこう書いている

*   *   *

結局その親戚の口ききのおかげで、何度めかに
受けた二流銀行にもぐりこめたのだが、そのと
きの経験は、実にイヤな記憶となって残った。
親戚の紹介してくれるままに、保険会社や漁業
会社や機械会社やと無節操に就職試験を受け、
自分の適性とか将来の希望とかいうことは全部
おっぽって、どこでもいいから入りたいという
奴隷根性にとらわれ、想像もしていなかった銀
行員などというものになってしまった自分が、
情けないやらおぞましいやら、あとでときどき
思い出してはゾッとした。例の親戚のおばさん
が、あいさつに行ったぼくの印象を、学生らし
い若さ、明るさのない子だ、と言ったというの
が後で耳に入り、これが一番こたえた。成功し
ている親戚に田舎の子が就職のことを頼みに行
くという負い目が、どんなにぼくにオドオドと
卑屈な態度を とらせていたかと思うと恥ずかし
い。

そんな心の傷の後遺症で結局その銀行には5年
ほど勤めて、退社してしまった。まだ脱サラな
んて言葉のなかった15年前、銀行員というまが
りなりにも安定した職を捨てるのは、決心も必
要だったし無謀と諌められもした。でももしあ
のまま銀行にいたら、ぼくは最悪の人生を過ご
すことになっただろう。

(註)
ただ今読み返してみれば いい時代の武勇伝と
いう要素もある 高度成長〜バブルと突き進ん
んだあとに停滞した日本経済を打破するために
小泉が推し進めた極度の規制緩和〜新自由主義
経済 あるいは企業の自己保全によって
もたらされたものは                
非正規雇用や日雇い労働者の増大〜    
格差社会の温床〜アキバ事件(註1)という
”象徴” へと突き進んでいった
この75年時点では、とうようさんもまた日本の
将来像を読み切れていないように思える
だからここではむしろ脱サラ
という先駆よりも ”心の傷” を感じた氏の感
情の流れこそを 汲みたいところ
一応 念のために付記しておきたい

(註1)『群像』最新号に於ける森達也との
対談で雨宮処凛は 事件によって舛添が雇用
政策の見直しを提言したことに触れ デモや
労働運動といった合法的な行動をとっても改
められなかったことが 今回のような負の事
件によって政治家を動かすとしたら あまり
にも皮肉なことだと述べている



2008/7/12

way to live  

中村とうようさんの名物コラムといえば
『ニューミュージック マガジン』に掲載の
”とうようズ トーク”
私の生き方に大きな影響を与えた75年6月号より抜粋
します

 *    *    *

山城にしても、ぼくにしても、世の中がどうなっていて
いまどんな問題があって、これからどうなるかというこ
とは、根本的には全部わかってしまっている。そしてそ
ういう世の中で、自分が現在、そして将来、どう生きる
べきかということも、確信をもって、わかっている。
こういうわれわれのような人間にとっては、自分との戦
いはあっても、他人との競争なんてものはあり得ない。

世の中と自分との関係がわかっていない人は、自分を自
分のまわりの人びととの比較でしか捉えることが出来な
いから、どうしても人に負けまいと競争し勝負する気持
ちに追いやられる。あいつよりいい成績をとろう、あい
つより早く出世しよう、いつでもまわりの人に負けない
ように、という競争の原理が生き方の中心になり、生活
の支えになる。そういう人は競争相手がいなくなるとト
タンに勉強しなくなったり働かなくなったりしてダメに
なる。競争がクセになって、生存のためのやむを得ない
戦い以外のスポーツや遊びさえも勝った負けたの要素が
ないと一生懸命になれないのだ。このように、つねに他
人との競争関係においてしか自分を捉えることの出来な
い人、この人たちがカモメのミナサンなのだ。

もちろん、ぼくや山城はジョナサンだから、他人との競
争などに関心はない。戦うべき対象は自分自身しかない
。つまり、自分はこう生きるべきだ、と考えているその
生き方から外れない生き方をするために自分と戦うので
ある。それすらも必要なくなったら聖人であり仏であっ
て、もはや人間の境地を超えてしまっているだろう。

ちょっと誤解を避けるために申し添えておくが、ぼくは
リチャード・バックの『かもめのジョナサン』を全面的
に支持しているのではない。あの本には批判ももってい
る。それからオレはジョナサンだから他人など眼中にな
いと言ったからって、他人をバカにして見下しているわ
けではない。ただ自分は自分、他人は他人でまったく行
き方が違って当たり前だと思っているので、同じルール
を与えられて勝負をするなどという気には金輪際なれな
いと言っているだけだ。

みずからエリートぶりをひけらかすなんて鼻持ちならな
い、と反発する人もあろう。お断りしておくが、ぼくが
自分をエリートのジョナサンと考えているとしても、そ
れは生まれつきの家柄とか天賦の才能を自慢しているの
とはちょっと違う。ぼくは ”選ばれた人”なわけでは
けっしてない。ぼく自身がエリートとして生きる道を
”選んだ”のである。この選択は誰にでもできる。他人
との競争に気をとられるのをやめて、自分と世界との関
係だけを考えるようにさえすればいい。誰でもすぐにジ
ョナサンになれる。





2008/7/11

丁寧に読み砕かれた書評  

拙書『Songs』に関して
ここにまた 佳き 読み手が一人

http://bookjapan.jp/


"ブックジャパン” は優れた書評ウェブとして
浸透してきていますが

同ページにある検索から
カタカナでソングスと入力してみてください

このように読み砕いていただけたら
私も再び  背筋を伸ばし直さなくては












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