東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/8/17

演奏家の孤独  

「レコードコレクターズ」最新号に鈴木茂のインタヴューが
掲載されているのだが これが存外に面白かった
話しの核心は
1 鈴木としてはもっとはっぴいえんどを続けたかったこと
2 ソロ第一作『バンドワゴン』(75年)は不撤退の覚悟で臨んだこと
3 以降自分の興味がギターソロよりもジャズ的な和声感覚へ移行したこと
4 同時に自分の仕事も歌謡曲のフィールドへと流れていってしまったこと

などに大別出来るのだが とくに4の問題に関して
いったんそっちに流されてしまうと歯止めが効かなくなってしまうことなど
インタヴュワー側の力量もあるのだろうが
かなり正直に語っていることに驚かされた

むろん今だからこそ 自分の半生をやっと振り返られるという
心の持ち様の変化もあるだろう
75年あたりを境にロック ギタリストが喰えなくなっていったこととも同期
する辺りが まさに時代背景を物語っている

バンドでリハーサルをしながらヘッドアレンジでスタイルを考えていく
ザ セクションやマスルショールズの連中のスタイルが
自分の性に合っていると告白しながらも 一方でロックじゃない人たちとの
仕事も増えてくると「自分もそれに引き摺られてロックから離れてしまうんですよ」
という具合に

こんな衝撃的な述懐もある

「僕ら(註:スタジオミュージシャン)は基本的に仕事を選べないから
歌謡曲というか芸能界チックな世界な方に どんどん引きずり込まれて
いくわけです 泥沼みたいに 当時はディレクターからの具体的な要望が
多くて 下手をすると誰かのレコードを持ってきて こういう感じでやって
くださいと言ってくる (中略) だから自分も知らず知らずに影響を受け
ちゃって 手軽に使えそうな曲を探すようになってくる それで自分の作品
も 如何にもアレンジャーが作った楽曲という雰囲気になってしまったんです
お膳立てばかりで中身がない というようなね」

個人的に改めて痛感したのは
アレンジャーやコンポーザーといった才能以上に
鈴木は人一倍演奏家という意識が強い人だということ

作家性を振りまくメンバーばかりのはっぴいのなかで
己の立ち位置や矜持を示すことがいかに困難だったかは
この僕にさえも判る

はっぴい時代の「12月の雨の日」には
そんな鈴木の他の誰のものでもないギターが唸りを上げている









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