東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/6/28

6月27日〜音のないところに宿る歌  

24日に続いて東京ローカル ホンクのライヴを見る
今回の会場は渋谷のBYG およそ3時間近くワンマンで
たっぷりとホンクの世界を堪能した

いつも言っていることかもしれないが 音のない空間に
こそ音楽が聞こえてくるような歌のあり方を
本当にこの人たちは大事にしてるんだなあ としみじみ
実感させられた

東小金井ではBGMにボブ ディランの新作が流されてい
たが 今回は2セットともにジョニー キャッシュの50
年代の代表曲「I Walk The Line」に導かれてメンバー
が登場するという さりげなくも心憎い演出だ                     

第一部のアコースティック セットは「生きものについ
て」から 第二部のエレクトリック セットは「いつも
いっしょ」から始まったのだが 静と動の対比というこ
と以上に その二つの要素が微妙に重なり合い 溶け合
いながら結び目を作っているといった印象が鮮やかだ
とはいえ 小さい音量と少ない音数で演奏される「ヒコ
ーキのうた」や「遠い願い」には 染み渡るような情感
があり アコースティックならではの粒立ちを見せる    

逆にエレクトリックでは たとえば「昼休み」の
ダブ風に処理されたドラムスが
音響的に限りない悦楽をもたらす それでも
歌に描かれた世界や 弦二さんの淡々とした歌が感じさ
せるのはベーシックな部分では ”静” であったり 
寡黙な表情であったりするから プラグド イン/
アウトみたいな方法そのものに意味があるという
よりは もっと豊かな持ち札というか音楽的な語彙
を変幻自在に組み替えられるところに
ホンクの四人の強みがあるのではないだろうか
そう 彼らは様々な絵の具を使ってキャンバスを描く
ことが出来るのだ

ステージ終盤は例によって「社会のワレメちゃん」〜
「カミナリ」のジャム大会で大いに盛り上がる
フリーキーな音の洪水というと 神経質なそれを連想
される方がいらっしゃるかもしれないが 彼らの場合
音の輪郭はどこまでも柔らかく 透明で
まるで なだらかな丘陵を追いかけていくかのよう

とくにスライド ギターも交えた「カミナリ」は 
降り注ぐ雨や大地の揺れを 言葉に寄りかかることなく
ダイナミックな演奏で描き出していて秀逸だった
(ナチュラルな箱鳴りで最後まで聞かせた音の良さも
特筆すべき)
   
そしてアンコールの一曲目に今回選ばれたのは
「ハイウェイソング」
ここでもまた 音のない空間にこそ歌が宿っている
とでも言いたげなホンクの世界が 
光となって 闇となって
うまく表現されていたように思う

「今日はこれから打ち上げがあります 2500円で
飲み放題なのでよろしく!」とクニオさんが客席
に呼びかける こんな屈託のなさもまたホンクの
魅力なのかもしれない

http://www.honk.jp/ 





























2009/6/26

アラバマのキーボード奏者、逝く  

今日も梅雨の間の快晴
やや汗ばむくらいの陽気なのだが
風が心地好い

バリー バケット死去の知らせで
すぐに思ったのは
彼がトラフィックのツアーに参加した時の
スナップ写真(『オン ザ ロード』)であったり
エディ ヒントンのキャプリコーン盤を
バリーが制作したことだったりする

あれはまだ学生の頃だっただろうか
アメリカの地域ごとにそれぞれの腕利きたちがいて
それらのパーソネルを参考にして
輸入盤LPを買い求めていったのは

わけてもアラバマ州シェフィールドにあった
フェイム〜マスル ショールズは
南部音楽愛好家にとって特別な場所だった
少なくとも僕はリズムの含蓄ということを
彼らから教わった

ジミー ジョンソン、デヴィッド フッド
エディ ヒントン、ピート カー、
ロジャー ホウキンス そしてバケット
彼らが演奏しているアルバムを購入するだけで
満たされた気持ちになったものだ

人々は敬愛を込めて彼らの活躍したスタジオを呼ぶ
そう、「3614 Jackson Highway Studio Shefield、
Alabama」と












2009/6/25

6月24日  

東小金井の海風にて 東京ローカル ホンクの
ライヴを見る
いつもそうなのだが「少ない音で多くを語る」という
バンド アンサンブルに改めて惚れ惚れさせられた

クニオさんのまるでケニー バトレーのような抑制
されたドラムスひとつとっても 音色にまで気を配っ
ている様子がありありと伝わってくる

共演した薄花葉っぱがレコ発ということもあって
最初に演奏したホンクの”おもてなし”も気持ちがいい
ものだった
京都からやって来た薄花は女の人の歌いまわしという
かコブシがユニークで 初めてながら思わず引き込ま
れてしまった












2009/6/23

努力の人、ジョージ ハリソン  

報告が遅れてしまったが 20日は天辰保文さんの
トーク イベントを聞きに渋谷の李白へ行ってきた
今回の特集は題して<ジョージ ハリソンと仲間たち>
ビートルズ時代の「アイ ニード ユー」に始まった
二時間はとても気持ちいいものだった

天辰さんがあの四人のなかではジョージが一番好きだ
というお話は 以前からお伺いしていたのだが
果たしてそれはどういうことなのかな? という興味
も個人的にはあった

「立ち姿がかっこ良かった」「周りの気の利いた女の子
たちはみんなジョージが好きだった」といった類いのお
話(正確な引用ではないことをお許しください)から
次第にジョージの魅力へと迫っていく控えめな語り口が
素晴らしい 声高に自分の見解を力説したり 後付けで
ものを言うような説明的なトークではなく 抽象から
核心へと向かっていく柔らかな流れには 天辰さん
の書かれる文章と やはり同じ匂いがある そして
不思議にジョージの音楽とも重なり 共鳴し合っていく

なかでも「ヒア カムズ ザ サン」に関して 表題
を歌い終わった後(自分を励ますように)its allright
というリリックを続けるところに親しみを感じたと述べ
られたのが印象に残っている 史実やデータ以上に
こればかりは歌と聞き手とが切り結ぶ幸福な関係だ
こういうことをきっちり書けたり 言ったり出来る人
が 僕はすごく好きなのだ

ニーナ シモンの素晴らしいヴァージョンもあるけれど
このits allright(大丈夫だよ)というフレーズを
他ならぬジョージ自身が歌うところに オリジナルとし
ての輝きとか 意味があるのだろう

自分にもお喋りが向けられたのだが その際には(時間
や場をわきまえて)言えなかったこともある
それはたとえばこんなことだ

自分がジョージと聞いて反射的に思い浮かべる
のは「サムシング」のぎこちないギターソロであったり
「ギブ ミー ラヴ」の緩やかなスライドであったりす
るのだが もっとギターの上手い人がそれらの曲で
弾いていたとしたら 果たして自分はそんなに感動
しただろうか? ということ

そう 「サムシング」のソロは 僕のギタリストを聞く
審美に 奥深く影響を与えていたのだった
少なくとも僕は ただ上手いだけのギター弾きには
何の興味も覚えない

天辰さんが終盤に紹介されたジョージのコメントも
努力の人、ジョージらしいものだった(こちらも
また不正確な引用ですが)

 「最初に僕が書いた<ドント バザー ミー>は
  それほどの曲ではない いや ひょっとしたら
  それは曲とすら呼べないものだったかもしれない
  でも大事なのは書き続けることなんだ やがて
  僕にもいい曲が書けるんじゃないかって信じて
  そして”いい曲” の基準というのは日々変化し
  ていく だから僕にとって作曲というのは人生
  の大仕事なんだよ」


僕が大好きな「ドント レット ミー ウェイト 
トゥ ロング」(これまたギターの鳴りがいい)
は当日流れなかったものの イベントの締めとなる
「ピュア スモーキー」を聞いていたら 突然自分の
なかで込み上げてくる感情があり
余韻を噛み締めながら そっと会場を後にした



















2009/6/19

ウー ララを口ずさむ夕暮れ  

すっかり日が長くなった
夕方5時過ぎでもまだまだ明るいから
今日みたいな梅雨の晴れ間には
なんだか得をしたような気分になる

若いということにさほど価値を置かない
身の下し方を覚えたのは
若い頃からザ バンドやヴァン モリソンの
老成したような音楽に魅力を感じていたから
だろうか
あるいはガルシアでも ロニー レインでも
いい
その音楽にあるのは若さにまかせた虚勢では
けっしてなく
若者が大人になった時に立ち向かう心のあり
ようだったような気がする

そうでなければ こんな歌は歌えない


  僕が今よりもっと若かった頃
  もっと自分が分かっていればなあ
  もっと血気盛んだった頃に

  娘たちの素敵なカンカンショウに
  若いお前は夢中
  でも 彼も知っているはずさ
  バックステージでは現実に引き戻される
  そんなことをね
  
  愛というのはナイーヴ過ぎて
  つい盲目になりがちだ
  でも
  それは胸にしまっておきなさい

  今 僕が知っていることを
  もっと若い時の僕が知っていたらなあ

  (フェイシズ「ウー ラ ラ」)













2009/6/15

69年初頭のグレイトフル デッド  Rock N Roll

69年2月のフィルモア ウェストでのデッドと言えば
名盤の誉れ高い『ライヴ デッド』をすぐに思い起こ
す方も多いでしょうが 今日のデッドはあの頃の雰囲気
が濃厚な『Fillmore West 1969』(rhino 05年)です
録音は上記会場での2月27日から3月2日まで行われた
4回のショウから選ばれたもので すべて未発表トラッ
クというのが嬉しいですね

改めて思ったのは この頃のデッドはまだ荒削りだとい
うこと ガルシアのギター自体が(写真で見る限りSGや
レスポールを使用しているようです)後年のトレードマ
ークとなる虹のようなトーンや浮遊感には到っていませ
んが トム コンスタンテンの暗く揺らめく蝋燭のよう
なオルガンや ピッグペンの野太くブルース フィール
溢れるヴォーカルが あの時代へと否応なしに引っ張っ
ていきます 珍しくアコースティック ギターも奏でら
れた「 マウンテンズ オブ ザ ムーン」から「ダー
−クスター」へと流れていくあたりに デッドならでは
の宇宙の広がりを感じます

ジャズもまた集団音楽といった側面が強いですが
手探りながら 七人のメンバー全員が互いの鳴らす
音に耳を澄ませて ゆるやかなビートを次第に生み落と
していく69年のデッドも魅力的です


CD 1

morning dew
good morning little school girl
doin that rag
im a king bee
cosmic charlie
turn on your lovelight


CD 2

dupurees diamonds blues
mountains of the moon
dark star>
st stephen>
the eleven>
death dont have no mercy


CD 3

thats it for the other one
alligator>
drums>
jam>
caution(do not stop on the tracks)>
feedback>
we bit you goodnight




 




2009/6/14

The Very Thing That Makes You Rich  

少しばかり俗な話題になってしまいますが
一時期のライ クーダーが家のガスを止められ
そうになったという話(註1) があり 音楽家も大変
だなあ と思ったものでした 

あの著名なライが何故に? と思われる方も多いと
思いますが 考えてみれば自作曲を書くソングライター
ではなく 埋もれた古い曲を発掘して新しい息吹を与え
ることに音楽的な態度(註2)を表明してきた彼の場合
印税面での実入りはほとんどありませんし また優れた
演奏技術をもっていたとしても その才能への対価
は "ワンセッションなんぼ” の世界でしょう
楽曲に派生する権利に比べて いい演奏(それにともな
う切磋を含めて)に支払われるものは 遥かに少ないの
です 対する出費はギターの購入やリペア代だけでも
案外かかるものですし

こんなことを書いたのも 他人の芝生は良く見えるとい
う訓話を現実面に照らし合わせて考えてみたかったから
なのです
先日もとあるロックバーの店主と「ときどき悠々自適だ
なんて誤解され羨ましがられることもあるけれど お互
い現実は厳しいですね」といった会話をしたのでした
僕なんかも独立した最初の2年で本3冊を出したので
よく冗談半分に「よっ、これからは印税生活ですね」と
言われたりするのですが そのたびに僕の心は深く傷
付いてきたのでした(苦笑)

多くの音楽ファンが望んでいる生活というのは「それほ
ど贅沢は言わないから 衣食住こと足りて それなりに
CDを買い ライヴに行って」といったものではないで
しょうか? まあなかには自家用ジェットを購入して
世界を豪遊するのだという人もいるでしょうが(笑)

そういう生活を維持するためには何をすべきか あるい
はどういう現実を受け入れなければいけないのか とい
うことも含めて 生きていくことは大変だあ
ガス代も電気代も支払い続けなければなりません(笑)
むろん世の中が平和であることが大前提ですけどね

それにしてもライ クーダーの志の高さは
昔も今も大好きで その音楽は彩り豊かです
ギタリスト 研究家などさまざまな顔があるライですが
音楽に対する謙虚な心の流れ(註3)みたいなものや
いいリズムに関する審美眼が
感じ取れる点に一番共感を覚えます


(註1)
メディアを通した話というのは多かれ少なかれ尾ひれが
付くものであり 受け手もそれなりに留意しなければい
けないが 80年代になってライが ”喰うために” 
映画音楽の仕事にシフトしていったのは 衆知の事実で
ある それでも『パリ、テキサス』(85年)表題曲での
ブラインド ウィリー ジョンソン「夜は暗い」の変奏
や 同映画に挿入された「カンシオン ミクステカ」で
のメキシコ音楽との繊細な触れ合いなどは ライの音楽
的な成熟を補って余りあるものだ

(註2)
もしそこにいい音楽があるならば 積極的に取り上げよ
うという”選択”も 今思えば共有財産へのライならで
はの声明であり 音楽ビジネスへの警告であったのかも
しれない 

(註3)
ライの異文化圏音楽への関心を ”文化的侵略者”など
と訳知り顔で批判する人がたまにいるが もう少し自分
の耳で音楽を聞けないものだろうか? というのもパッ
チワークの如く”美味しい所を盗る”ような手法とは異
なり ライの場合は常に自ら奏でる弦楽器とその音楽と
の調和に心を砕き 思いがけない音楽的な接点に敬意
を払ってきたからである 近年のライの主な関心事であ
るキューバ音楽への取り組みや ロスアンジェルスの
成り立ちを寓話的な手法で浮かび上がらせた最近の三部
作でも まるで巡礼者のような心映えを持つライに出会
うことが出来る












2009/6/11

陽は昇り 陽は沈む  

肩の力が抜けているといえば 近年のヴァン
モリソンもまた然り 本日はそんな彼の06年
作『ペイ ザ デヴィル』を聞きました

ハンク ウィリアムズ「ユア チーティン 
ハート」 ウェブ ピアース「モア アンド
モア」をはじめ ほぼカントリー音楽のカヴァ
ーで埋め尽くされたこのアルバム 僕は大好き
です 少し前にも『ユー ウィン アゲイン』
などカントリー色が濃い作品も残しているヴァン
ですが こういう趣味的な録音をポチポチ
とリリースしてくれるのは 年輪の成せる技か
もしれません

どことなくフロイド クレイマーを思わせる
ジェレイント ワトキンスのピアノや テレキャス
ならではの乾いたトーンで心地好いリックを繰り出
すミック グリーン(パイレーツ!)のギターなど
ロンドンのパブから 遠いナッシュヴィルの
ホンキー トンクに思いを馳せているような心持ち

といってもチャック ウィリスで知られる「ホワット
アイム リヴィング フォー」とかリトル ウィリー
ジョンでおなじみの「ビッグ ブルー ダイヤモンズ」
など オリジナルはともかくR&Bヒットで有名な曲も
取り上げているところに ヴァンらしさを感じたりも
しています そういえば『ユー ウィン アゲイン』
でも アーサー アレクサンダーの「ショット オブ
リズム アンド ブルース」を歌っていましたね

そんな意味では ”カントリーアルバム” とされてい
るものの 本人はただフェイヴァリットな歌を気楽に
歌いたかっただけなのかもしれません

そう 今日もまた陽が昇り 陽が沈むように
人々の営為のような歌の数々だと思います
ディランの新作と同じように
この『ペイ ザ デヴィル』でのヴァンも
自分の意識というよりは 市井の人々の語り部と
化しているかのようです


 * * *

ところで今日は さる編集女子がレコードの
返却と新刊の案内を兼ねて 僕の家までやってきまし
た ちょっとアルバイトで 猫に関する本のお手伝い
をし コラム原稿を少しばかり書いたものですから

しかし まだ陽射しがある夕方 地元に残る昔ながら
の喫茶店で
若く美しい娘さんと 僕みたいなくたびれた中年が
あれやこれやと会話をしているのですから 
お店の方には 少しばかり不思議な光景に映ったの
かもしれませんね(笑)













2009/6/10

自由度の高い演奏 もしくは”リズムへの信頼”  

ディランの新作と並んでここずっと愛聴して
いるのがデレク トラックス バンドの『オ
ールレディ ライヴ EP』です 限定版のEP
仕様ながら 最も新しい彼らのライヴを堪能
出来るのだから 即購入致しました

とくに17分半に及ぶ(コルトレーンでおなじみ
の)「マイ フェヴァリット シングス」など
を聞くと 単純に演奏が上手いバンドはいいな
あ とか ロックとかジャズだとか表面的な分野
の区分けが虚しいな とか思ったりします

むろんデレクはかのオールマンズの遺伝子を引き
継ぎ また現オールマンズの肝となるギタリスト
ですが ブルースやR&B フィールは無論のこと
アラブ音楽やジャズへの視界を持っていて その
ことが ややもすればオールド スクールなオー
ルマンズにも 新風を吹き込んでいるわけです

それはともかく 一言デレクたちを聞いて思うの
は 自由度が高い長尺演奏は素晴らしい! とい
うこと ここ最近デッドをはじめフェラ クティ
らに触れる機会が多いので余計にそう感じるのか
も知れませんが いわゆるポップスの3分間や
AABA形式 もしくは流行のアレンジが施された
楽曲にはない ”演奏の力” を思い知らされるこ
とは多いです フォーマットに支配されない音楽
の力強さと言い換えても構わないでしょう

緩やかな骨格はあるものの そのなかを自在に
泳いでいくような各楽器とその連携 そして
熟すまではプレイを止めないといった心持ち
こうした楽曲よりも演奏それ自体の瞬発性に賭け
るような指向性は 言わずもがなジャズ的な方法
ですが 改めて思うことがありました

むろん一方で 自分はチャック ベリーの2分半
のストーリーテイルの妙 とかブルースの古典的
なクリシェにも惹かれてきたので あまり
偉そうなことは言えないのですが(笑)長い演奏
に宿る生命 丁々発止の妙 あるいはミニマルな
リフの波に引き寄せられたりすることは多いです

こんなことを書くのも やはりウィンウッド『
ナイン ライヴス』の感動が 自分にとっては
ものすごく大きくて ずっと考えていたから
そしてクラプトンとの共演での違和感を少しばか
り言葉にしたくて

コンパクトに曲をまとめ上げる方向でもなく
プロダクションに支配されたマーケッティングでも
さらさらなく ウィンウッドが今考えていることが
『ナイン ライヴス』を通してしっかり伝わってく
るんですね それは一言でいえば ”リズムへの信頼”
なんだけど ホセ ネトのような一般的には無名の
ギタリストを見つけてきたり ベースレス編成での
グルーヴを追究してみたり ほんとうにデリケートな
部分の音楽的な志が この人は本当に素晴らしい

デレクからウィンウッドへと話は移動してしまいました
が きっとトラフィックの音からもデレクたちは何かを
感じていると思います









2009/6/8

もしきみがダラスに行ったのなら  

ボブ ディランの新作『トゥゲザー スルー ライフ』
白盤を頂いた時から 50回以上は聞いていますが
かなり素晴らしい出来だと思います

何よりも心地良いのは
全編 バンド全体の鳴りが極めてオーガニックなこと
1曲めのギターソロでの一拍遅れ〜詰まり(笑)など
一般的には録音し直しとの判断でしょうが
それを許容するだけの横揺れビートに満たされています
音楽は『ラヴ アンド セフト』『モダンタイムス』
と続いた近作の延長にある南部フィーリングが濃厚で
明らかな借用(オーティス ラッシュからマディまで)
を含めて アメリカ音楽の豊かな水脈の一部になろうと
しているようなディランに出会えます

   僕はビリー ジョー シェイヴァーを聞く
   僕はジェイムズ ジョイスの詩にも触れる
   人々は僕にこう言う
   「あなたにはこの国の血が流れている」と

   (「変化の兆しが聞こえる」)

こんな歌詞もアルバム全体に通低する過去と現在の
邂逅を象徴するかのようです

   もしきみがダラスに行くのなら
   メリー アンによろしく
   妹のルーシーに会うのなら
   行けなくてごめんと謝っておくれ

   (「ヒューストンに行ったなら」)

何でもない日常のやり取りのような歌詞ですが
伝達という手法にディランの思いが重なり 染み渡り
ます

ディラン個人の感情を発露するというよりは
歌(とくに南部の町)の物語に同化しようとする
そんな姿が
これらの生まれたばかりの歌に
まるで伝承歌のような響きを与えています
   


   












2009/6/7

再会と歳月〜同じ気持ちとすれ違う感情  Rock N Roll

昨日は夕方になって雨も止んだので渋谷に出て
レコファンで買い物*をした後
半年ぶりに「国境の南」を訪ねました

というのも国境の羽田野さんがlogで
ウィンウッドとクラプトンのジョイントライヴが
イマイチみたいなことを書かれていたので
ちょっと真意を確かめて(笑)みたかったのです
ちなみに羽田野さんは近年のウィンウッドをとても
高く評価し 昨年の『ナイン ライヴス』をベスト
アルバムに選ばれるなど 私と同じような嗜好を
お持ちの方です

さっそく映像版『マディソン』を拝見させて頂き
あれやこれやと会話が始まります ロックおやじ
渋谷の喧噪を逃れて観るウィンウッド映像(笑)
ワールドミュージックのバーでのロック談話(笑)
これもまた味があるじゃないですか

羽田野さんがおっしゃったことでとりわけ印象的
だったのは「クラプトンとウィンウッドではリズム
に対する認識が異なるのでは? 」という見解でし
た なるほど そんな観点から演奏を聞くと二人の
資質の違いに改めて気がつくのでした

ブリティッシュロック希有の才能どおしの顔合わせ
(再会)ですからむろんオールド ファンにはぐっ
と来る場面があり 「歓喜の海」「プレゼンス オ
ブ ザ ロード」といったブラインド フェイスの
曲や トラフィックの「グラッド」 あるいはウィ
ンウッドがピアノを弾くブルーズナンバーなどにも
一度は感激するのですが 次第に問題点が浮き彫り
になってしまうのです クラプトンの近年のバンド
にウィンウッドが加わるという編成自体が そもそ
もウィンウッド ファンには欲求不満を起こす原因
かもしれません クラプトンはといえば相変わらず
のハイ ポジションでスクイーズ を多用するギター
にどうしても私の審美眼は付いていけないのですが
それでもハーフトーンならではの音色で繊細な
ヴィブラートを織り交ぜるあたリに思わず聞き惚れ
てしまいます (二人が同時にソロを弾く場面もあり
そこでも個性の違いを確認出来ます)                                       

何かウィンウッドのファンが一方的なことを言って
いるように思われるかもしれませんが ブルースや
R&Bに憧れ 模倣するという出発点から始まった二人
の共通分母が ここまで違う答えとなっていることに
歳月を感じずにはいられませんでした

売れて嬉しいこと
売れて初めて実現出来ること
売れることで失ってしまうこと
あるいは名声を得ても勝ち得るだろう信頼のことや
取り戻す原点とか 音楽的な視界のこと


そんなことを思いながら
雨上がりの渋谷の街を後にしました
http://www.kokkyo.net/


*ダン ヒックス『タングルド テイルズ』
 フェラ クティ&アフリカ70『オボシットピープル』
 アストーラ ピアソラ『九重奏』









 















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