東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2010/2/28

2月28日 雲と雨そして晴れ  文学

沢木耕太郎『血の味』(00年 新潮社)を
読了 今年10冊め

ノンフィクション作家として著名な沢木が
フィクショナルな純文学を書いたという意味
でも意欲作だろう 結果 主題にされたもの
は生に関する抽象性である 生きながらもは
や死んでいる生というものがあるとすれば
それを冷徹なまでに追い求めた小説かもしれ
ない

虚無的に造形される主人公は15歳の中学生
であり 過去を語らない父の存在に怯える
一方 元ボクサーだったという男と言葉を交わ
すことで 世界というものを知っていくが
意外な顛末が、、、

あとがきで沢木は これを書いて楽になった
旨を記しているが 偽らざる心境だろう
もともとは15年ほど前に一端書かれてから
封印され 00年に『無名』に取り組む際 
突然思い起こし それからは一気に最後まで
書き上げられていった作品だとも 語っている

人生の暗い側面や深遠な淵を覗いてしまった
ような 恐ろしい小説だ

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2010/2/28

加藤和彦氏の見解  

ファンの方なら先刻ご存知の通り
加藤和彦の83年作『あの頃 マリーローランサン』
には 音楽環境をめぐる加藤氏のメッセージ カード
が封入されていました

時代的にやや古びてしまった事項があるとはいえ
本質的な部分で核心を突いた見解だと思えますし
個人的にも こうした想像力を持った聞き手の
一人でありたいと 今も思っています

以下 「ファンの皆様へ」と題された加藤氏の見解
を全文引用させていただきます

「久々のソロアルバムをお届けしました CBSソニー
移籍第一弾として いつにも増して意欲的に取り組
んだこのアルバム 気に入ってもらえましたか
一枚のレコードがリリースされるまでには 息の合
ったミュージシャン アレンジャー レコード会社な
ど数え切れないほどの友人 スタッフが関わっていま
す 当然それらの人々の才能や労働には正当な報酬が
支払われなければなりません ところが 最近では 
貸レコードやエアチェックなどの安易な複製が横行し 
レコードの売上げが圧迫されています
このままでは 音楽にたずさわる人みんなが危機を迎
えるだけではなく 新譜の制作や新人のデビューが
制限されたり レコード価格の引き上げを招くことに
もなってしまいます このような アーティストにと
ってもファンにとっても不幸な事態を防ぐためにも
レコードはプライヴェイトな楽しみだけに使ってくださ
い 音楽を愛するすべての人にお願いします」

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いささか高踏的な語り口は相変わらずだが
一切の無駄を排した演奏が信頼を呼び起こした83年の
会心作 その主人公は もうこの世にいない

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レーベルから送られてきた中村まり09年の新作の
サンプルCD(白盤)と 筆者が自費で購入した正規盤
音楽は同じかも知れないが 手にした時の質感やアート
ディレクションを含めて”作品”なのだと思いたい
ちなみにジャケットの絵は 中村本人が描いている

2010/2/27

追悼:Dale Hawkins  Rock N Roll

やや報告が遅くなってしまったが
白人ロックンローラーの開拓者の一人である
デイル ホウキンズが亡くなったらしい

http://dale4hawkins.topcities.com/

偶然ではあるが 先日他界したボビー チャールズ
とはチェスのレーベル メイトでもあった
面白いのは海外のサイトでも彼の「スージーQ」
をスワンプ ロックの古典と形容していること
同曲をストーンズやクリーデンスのヴァージョンで
知ったという方も多いだろう

写真は彼の69年作
録音ロケはタイトルが含みを持たせている通り
ロス、メンフィス、テキサスの三カ所という
『アトランティック クロッシング』とタメを張る
ようなプロダクト
ぼくはライ クーダーが参加していることから
必死になってLPを探した

今改めて聞き直しているのだが
これ、スワンプ ファンはマストかも
06年にやっと英レヴオラがCD化してくれたのが
嬉しかった

ボビー チャールズの話に戻すと
「ジョー」「ララララ」と二曲もボビーの曲を
カヴァーしていることが興味深い
ボビーのオリジナルでは 寡聞にもぼくは
これらを聞いたことがない
たとえばジョー コッカーがボビーのジュエル
時代の「ジェラス カインド」を歌っていたように
は すぐに答えが得られないのだ


謹んでご冥福をお祈り致します

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2010/2/26

2月26日  くもと雨  nothin but the blues

マディの未発表ライヴ音源集
『フィルモア 66年11月4〜6日』のCD
(写真の右手前)を やっとディスクユニオン
で購入した

初めから偉い人だったので
ロック育ちのぼくにはその偉さだけが
刷り込まれてしまった感もあるのだが
ただひたすら音を聞いていけば
その有無を言わせない濃度に圧倒される

ちなみにこのときのバンドは
ジョージ スミスのハープに
ギターがルーサー ジョンソンと
サミー ローホーンという
顔ぶれ

マディ自身はクレジットによれば
ギターを弾いていないのが残念だが
全編あの”ぬめっとした” スライドギター
に圧倒されるライヴだ

ブルーズ音楽はいうまでもなく
地域ごとの特色があり
ぼくと一番波長が合うのはルイジアナの
それや メンフィスのそれ

それでも今こうして51歳のぼくが
やっとマディの空威張りにも
威風堂々にも 心を通わせることが
出来る

何よりも そのことが嬉しくて

http://6314.teacup.com/obin/bbs?

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2010/2/26

this note for you 2  

話題になっているジェイムズ テイラー&キャロル キング
の来日公演 内容は”古き佳きトゥルヴァドール デイズ”の
再現とあり 二人の選曲も70年代初期のものに絞られるとの
こと

それならばなおさら高額なチケットのことに関して 当事者
から何らかの説明があって然るべきであり また記者会見が
あるとすれば そのことに関する質問があって当然だろう

とくにキャロル キングの場合は以前の来日時も オーチャ
ードホールで2万円というチケットが批判された記憶も新しい
ちなみに その時のツアー名は" welcome to my Living room"
と冠されていたのだが そのような”気軽さ”と高過ぎる料金
との齟齬に関して 音楽家から何らコメントがないのは 誠実
な態度とは言えまい

このような現状が訪れることをかつての本人が望まなかった
としても 当日集まるであろう”大人の聴衆たち”も含めて
あのトゥルヴァドールの日々から遥か彼方(so far away)に
来てしまったことを 我々は知るだろう

このノートはあなたたちに向けられたものである

小尾 隆

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これは先日 東京に雪が降った時の木々
ザ シティの「スノウ クィーン」が頭のなかで溢れ始めた
音楽との個人的な関わりとは そういうものだ

2010/2/25

お知らせ  

06年の9月より Say It Loud 3として長らく親しんでいた
だいてきた当該の掲示板ですが 一応当初の役割を終えた
ものだと判断し 本日より屋号も新たに
Seeds To Growとして生まれ変わりました

イベント告知でも近況報告でも構いませんので 弊blogの
姉妹編として 今後ともお気軽にご利用ください
よろしくお願い致します

http://6314.teacup.com/obin/bbs?from=bbsticker

Seeds To Grow 管理人 
小尾 隆 
                                               <クリックすると元のサイズで表示します

2010/2/24

2月24日 晴れ  文学

保坂和志『残響』(97年 中公文庫)を読了
今年9冊めの読書でした

人と人の関係は 言うまでもなく流動的で
その時その時で 濃淡があり
むろん出会いや別れ さらには断絶や死別が
含まれます

逆にいえば「ずっと」や「永遠に」は
絵空事ということですし
固定された人との関係というのは
少なくとも私には 気味が悪く映ります
all things must passと歌った人も
いましたね

そうした人の営為を”記憶”という糸口によって
重層的に語っていくのが この小説です
例えば中古の一軒家に引っ越してきた若い夫婦
が その家の片隅に以前暮らしていた夫婦の
痕跡を見つけ 想像を巡らせる

想像を巡らせられた以前の主(あるじ)たち
は 別離してそれぞれの暮らしを見つめなが
ら 過去に出会った人なども思い またその
人が主役となる場面転換が随所に盛り込まれ
ていきますが  登場人物たちの記憶の糸は
残念ながら結びついていくことなく
現実のなかで埋没していきます

毎日4日に掲載された三輪太郎さんの随筆に
よれば「やわらかな日本語で日常の隙間を描
き 魂や死という言葉を使わずに魂や死を問
う 稀有な小説」ということになりますが
なるほど ミニマムな積み重ねがやがて壮大
なうねりを生み出していくところに 作者の
力量を感じました それは宇宙と言い換えて
も構わない

記憶すると同時に忘れていく
それが人間の残酷さであり 運命でもあります
現に私が自分のことを振り返ってみても
一体どれだけのことを置き忘れてきてしまっ
たことでしょう

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「たとえばいまあたしが桜の花を散らすのが風や
雨だけじゃなくて鳥も花を落としているんだと知
って これからは桜の花が地面に散っているのを
見るとそういう鳥のことも考えるようになる」
(保坂和志『残響』より)


2010/2/23

鷹揚に、悠然と  Rock N Roll

一時期 「書き手」のひとりとして悩んだことが
あります
あまりに原稿依頼が途絶えてしまった時があり
何か自分に根本的な欠点があるのでは? などと
否定的な思考に走ってしまったり
そんな状況ゆえに 他人のことが気になって
時流の波に節操なくスイスイと乗っていくような
昨日の本当を今日の嘘と言うような軽薄な書き
手たちに 腹を立てたりしていたんですね

ただ自分の場合 何でも屋になるつもりは初めからな
かったですし 自分の資質のようなものは十分解って
います 思いを馳せれば
自分の得意とするパブ ロックもスワンプ ロックも
そしてシンガーソングライターも けっして時流に
媚びを売るような音楽ではありません
それを裏切ってはいけないな と
自分の軸となる足を踏み外してはいけないな と

ある意味 そうした信頼を得るため また自分の矜持を
保つために あえて遠回りしてみようと思えるようにな
ってからは 不思議なくらい気持ちが晴れやかになって
いきました

結局 自分に出来ることは出来るのだし出来ないことは
やはり出来ないんだという まあ言葉にしてみれば
当たり前の結論なんですけど(笑)

一流と呼ばれる諸先輩方は そこにお名前があるだけで
その方が情熱を込めて書かれてきた音楽が
きちんと聞こえてきます
やっぱり流石だなあ 敬愛するなあ
自分 まだまだ全然駄目っす(笑)

似合う服を着て 似合わない服はさっさと脱ぎ捨てて
もう少しがんばってみます
鷹揚に 悠然と

また お会いしましょう

小尾 隆

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スティーヴ フォーバート 78年の瑞々しいデビュー作
自己懐疑も向こう見ずな思いも 彼自身から発せられた
言葉に他ならなかった

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ジャケットを裏返すと こんな勇姿が
ステージではチャック ベリーを歌うなど
ロックンロールの心を持ったソングライターでもある

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”歩く前に走り出してしまった”佐野元春80年の
ファースト アルバム
歴史の傍観者でもなく シニカルな衣装を纏った
予言者でもなく 彼は自分の歌の主人公となり
曇りのない目で街を見つめた
未来への予感に震える「情けない週末」も
胸を打つ


2010/2/22

flamin' got a rockin'  Rock N Roll

フレイミン グルーヴィーズもまた
心から好きだと言えるグループ

サンフランシスコ出身の60s eraだが
70年代後半に渡英してデイヴ エドモンズと
出会った頃から 俄然ぼくは興味を持った
オリジナル曲もさることながら
ビートルズ「ミザリー」やストーンズ「ブルー
ターン トゥ グレイ」そしてバーズ「ホール
ロッタ〜」を正面きってカヴァーする姿勢に
オビの針は振れたのである

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後追いだっただけに 一時期レコードは
徹底的に探しまわった アマゾンをクリックするの
もいいけれど それだけでは掴めない世界がある



2010/2/22

2月22日 くもりと晴れ  文学

川上弘美の自選アンソロジー『はじめての文学』
(07年 文藝春秋)を
読み終えました 今年8册めの読書でした

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(「はじめての文学」シリーズは 同時代の作家たちが
自らの作品を選りすぐった入門的なアンソロジーで 
12人の作家による全12巻
キング クリムゾンでいえば
a guide to young personsのような優れたコンピレー
ション アルバムだ)

もともと短編が得意な作家なので 骨休めかたがら
楽しみました 
少しだけ視界や位相を変えてみると世界が違うように
見える 小川洋子もそうですが 川上弘美の小説にも
そのような特質があります

モグラから人間を見た「うごろもち」や
タコが人間の世界に遊ぶ「北斎」なんかユニークな発想
でした
性愛に関しては 姉の乳房を吸う弟を その弟と同級の
女の子が遠巻きに見ているというシュールな「草の中で
」が印象的でした(その理由も仄めかされています)

一番気に入ったのは 死んだ叔父と”私”が対話する
「花野」の哀切です  食事を共にする最後の場面が
すごくいい

「あとがき」で川上さんはこんなことも語っています

  小説というものは 書かれることも大事だけれど
  読んでもらうことも きっとものすごく大事なの
  です

敬愛する同業者の山本智志さんも 以前こんなことを
書かれていました

  ぼくはロック音楽を聞くことも好きだが
  ロック音楽について書かれた文章を読むことも
  大好きだ

小説と音楽という違いはあるにせよ
両者に共通するものを挙げるならば 作者のもとを離れ
て育っていくものを 肯定的に見渡していこうとする
柔らかい心もちではないでしょうか

とぼけた味わいもある川上文学
クセになりそうです

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カバーを外しても 黄色のみの簡素なデザインが
いい



2010/2/21

2月21日 くもりと晴れ  

川上弘美の短編集を読みながら午後を過ごしたあと
中村まりのライヴを見に 下北沢のleteに行く

本日は共演者なしのワン マンであり
文字通りのソロ アクトを 20人も入ってしまえば
一杯になってしまうような小屋で行うという
ある意味 このうえない贅沢さ

レコ発でもなければ 特別ゲストもいない
両脇に伴奏者も まったくいない
しかしそれ故に
むしろ 中村まりの歌と向き合うにはいい環境だった
かもしれない
そして驚くべきことに
本人にとってさえ この2010年2月21日に刻印
された演奏は 二度と取り戻すことは出来ないのだ

いつものオリジナル曲に加えて
ビートルズの「ぼくが64歳になったら」や
中村自身はエリザベス コットンのヴァージョンに
思い入れがあるらしい伝承曲「ゴーイング ダウン ザ
ロード フィーリン バッド」を交える
世代的なものがはっきりと打ち出されたという意味では
ロン セクスミス「アップ ロード」のカヴァーも
彼女の旅路を指し示していたように思う

それにしても こうして中村まりの歌と共振していると
自分が東京の片隅でライヴを聞いているのか
それとも 時間というものが果てしなく続いていくよう
に信じていた 二十歳の頃の語らいのなかにいるのかが
互いに交差しながら解らなくなっていくような瞬間が
ふと訪れる

あるいは自分は一体いつから野原の匂いや川のせせらぎ
を あるいは信じるべき ”明日” のことを置き忘れて
きてしまったのだろうか と

こうして家に帰ってきて 改めて彼女のCDを聞くと
シンプルに聞こえたはずの音のなかに 様々な優れた
演奏者たちの心を砕いたサポートがあったことに気がつ
く ギターだけでも ざっと2本は重ねられている
それがスタジオ レコーディングスというものだろうが
それらを超える瞬間が 今日の演奏にはあった
こればかりは会場に足を運んだ 聞き手一人ひとりが
勝ち取った勲章のようなものかもしれない

この日のMC(それはぎこちなさ故に聞き手と信頼の橋
を結ぶ)でも 中村はカントリー・ブルーズへの偏愛
を述べ ハッピー・ブルーズというジャンルがもしあ
ればそれが好きだとも語っていた それが彼女が最も
羽根を広げられる場所であれば 一番微笑むことの出来
る時であれば 世界の時間軸とやらが どうこう言うこ
とではあるまい 自分の窓とは恐らくそういうものだか


自分自身の過去が照らし出されることによって 自分の
現在は果たしてどうなのか 穿った気持ちで人と接して
いないか 同じ退屈として来るべき ”明日” をやり過
ごしてこなかっただろうか

そんなことさえ 中村まりの歌は問い掛けていく
暗喩としてのさざ波のなかで 
夜のフクロウが見守るような静寂のなかで
彼女の歌は そっと響き渡っていくのだ

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会場leteを外側から
10年まえ前後によくライヴに行った青山陽一さんも
出演する店らしい
今度 久しぶりの彼を見ようかな

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店内です こんな天井もセンスを感じさせます

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まりさん愛用のマーティン
本当にナチュラルな音色がします
やや小ぶりのサイズが自分には合うとか
詳しくは『アコースティック ギターマガジン』
の最新号を参照に

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キーごとのハーモニカ そして喉を涸らさないためのお茶

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「ゴーイング ダウン ザ ロード フィーリン 
バッド」 良かったです! との
ぼくの声に応じ カメラに微笑む終演後の中村まり
とっさに取っていただいたロケーションでしたが
右手の置き方ひとつ取っても ギタリストの作法
ともいうべきものが伝わってきます

(撮影及びlogへの掲載に関してはご本人からの快諾を
いただきました まりさん、ありがとうございました)


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演奏が終わって 歌手は家に帰っていきます
聞き手もまた何かを携えて それぞれの帰路に着きます
むしろ そこから音楽は また始まっていくのだと
ぼくは思っています

2010/2/20

on the night like this !  

今日は母親を見舞いに虎ノ門病院に行った帰りに
大井町の”グルパラ” で
ロッキン シューズとザディコキックスのライヴ
を楽しみました

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看板四隅にあるミッキーは
むろんフレイミン グルーヴィーズのジャケット
から ねえ 松尾さん^0^

まずはロッキン シューズから
オープニングがスティルス「フォー ホワット」
その他 ランディ ニューマン「ホールド オン」
アル グリーン「テイク ミー トゥ ザ リヴァー」
スマイリー ルイス「アイ ヒア ユー ノッキン」
ヴァン モリソン「ブライト サイド オブ ザ
ロード」などカヴァーが楽しい
フェイシズ「ウーララ」には泣けたなあ

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ロッキン シューズの終盤には ザディコキックスの
西田琢がフィドルで合流
互いにガルフ コーストの音楽に敬意を払っている
バンドなので相性はばっちり!

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二番手は ザディコキックスです
以前にも書かせていただきましたが 彼らは何も
ケイジャン/ザディコを学術的に研究するのではなく
ダンス音楽としての living(生きた)musicとしての
本懐をまっとうしています

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客演でシューズのメンバー(右)も ラブボードを
彼はドラムス担当だけに 演奏もさすがでした

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こちらはキックスのメンバーです 
ジョー リギンズ「バッド バッド ウィスキー」も
ペパーミント ハリス「アイ ガット ア ローテッド」
(ロス ロボスやクレイのヴァージョンが有名かな)
もナイスな出来だった!

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おやおや ここはラファイエットの飲み屋か^0^
乱れ打ちのザディコ大会です

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最後はロッキン シューズとザディコキックスで
記念撮影を
みんな いい顔^0^

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また会いましょう

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ロッキン シューズのレスポール氏も
思わずラブボードを抱えるの図でした^0^

2010/2/20

2、3月の予定です  

2月20日19時 ザディコキックス、ロッキン シューズ @大井町 グルーヴァーズ パラダイス
 21日19時半 中村まり@下北沢lete
3月6日20時半 コスモポリタン カウボーイズ
@池袋 フリーフロウランチ
  18日18時 佐野元春@恵比寿リキッドルーム
  27日19時 告井延隆@狭山ふぃがろ
  28日19時 中村まり 長谷川建一 安宅浩司
        @下北沢440

see you next time !

(ジャクソン ブラウン、キャロル キング&ジェイムズ
テイラー、ボブ ディランの来日公演にはまったく興味
がありませんので*  あしからず^0^)

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デッドのスタジオ アルバムで一番好きなのが
73年の『ウェイク オブ ザ フラッド』
終曲「天気予報組曲」の素晴らしさよ!

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今日は久しぶりの快晴です

*日々の暮らしのなかでジェイムズの歌をきちんと
受け止めることと 高いチケットを払って 既に
評価が定まった音楽家のライヴに行くこととは 
まったく異なる体験です
そのことを忘れてはいけません

グラミー? ホール オブ フェイム?
f#c#k you! a#s h#le!
そんなもん、そこら辺のガキにでもくれてやれ!

2010/2/19

this note for you  Rock N Roll

「難問のひとつ それは多くの人間が歌にはちっとも
関心を示さないことだ 彼らが興味を示すことといえ
ば『クィーン ジェーン』とは ジョーン バエズの
ことではないかとか 『ミスター タンブリンマン』
をディランは街の麻薬行商人たちに捧げたのではない
かとか そんなことばかりだ こういう人たちは第三
者的にしかものの見られない たしかにとても嫌みな
連中だ けれども実のところ ぼくたちはみな 今も
昔も覗き屋(ピーピング トム)のように振る舞って
いるのではないだろうか ディラン自身がこのことを
『アナザー サイド』の裏ジャケットに載った詩のな
かで指摘している」

 人だかりが出来ていたのでぶらっと入り込んでみ
 ると 一人の男がブルックリンの橋からまさに飛
 び降りるところを みんなが眺めているんだ
 ぼくには立ち止まって彼を見ていることは出来なか
 った けれども恐ろしいことに ぼくは彼が飛び
 降りるところを見たいって 心の奥底で思ってい
 たのさ

「きみはそんな邪悪な態度を克服すべく戦うことが
出来るはずだ ディランの個人的な生活や考え方に対
するきみの考え方に きみは別れを告げる! そして
きみは詩や歌を通じて 持っているもののありったけ
をきみに与えてくれるディランの大きさを知ることだ
ろう ありのままに受け止めることだ」

「ひとつの歌とはひとつの体験なのだ 歌を書く人間
も それを歌う人間もそれぞれ何かを感じている 歌
には同じものを感じて欲しい そんな願いが込められ
ている だから人はそれが何なのかを知ることはなく
とも それを感じることが出来るのである」

ポール ウィリアムズ「トム ペイン ヒムセルフ」
(『アウトロー ブルーズ所収)より抜粋しました

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ウィリアムズの『アウトロー ブルーズ』と『ニュー
ヨーク ブルーズ』 日本では72年と75年に訳出され
た ウィリアムズの主張はおよそ ”自分で感じなさい”
というものだが そこには示唆があり 啓示があり 
今もなお ロック音楽を聞く人間を励まし続けている
音楽を語る”言葉” が荒れ果ててしまった今こそ ウ
ィリアムズならではの感性の奔流に 耳を傾けたい








2010/2/19

2月19日 くもりと晴れ  文学

蓮見圭一『八月十五日の夜会』(08年 新潮社)を
読了 今年七冊め

表題が指し示すように1945年の敗戦 それも沖縄
決戦を主題にしているのだが 本島ではなくあまり
語られることのない伊是名島および伊平屋島周辺の
軍や島民の様子を描写しているのがミソ

作者も文中で仄めかしているが 大戦の体験と言って
も それは個人の体験の集積に過ぎないのだろう
中央からではなく 周縁(伊是名島)から当時を浮か
び上がらせようとする意図も まさにそこにある

無知故にスパイになってしまった島の少年を日本軍の
幹部がリンチにしていく壮絶な場面も こういう機会
でなければ語られることは あまりないのではと思う
また だいぶ時間が経ってから敗戦を知る島の戸惑い
や 漂流してきた米兵を射殺する部分も かえって
想像力を刺激する

ちなみに蓮見は1959年生まれというから ぼくとほぼ
同世代である 代表作『水曜の朝、午前三時』(言うま
でもなく著名なフォーク デュオの曲に因んでいる)が
そうであるように 自分ではなく先代が残した記憶を
もとに語り部となっていくという距離感は ごく正直な
ものに違いない

事実ここでの主人公も 死んだ祖父を辿っていくことか
ら こうした史実に直面してゆく

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