東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2007/11/23

路傍へ、書簡に代えて  Rock N Roll

人はなんで生きているのだろう?
きみもそんな問いを絶えず発しながら日々を過ごしている一人
のように私には見受けられます

本当に考えれば考えるほど
迷宮に入ってしまうような命題ではないでしょうか
いみじくも小川洋子は「人はどこからやってきたのかという
起源を持っていない」という認識に立って
自らの文学的な主題に日々取り組んでいますが
それとて 砂漠のなかに宝石を探し出すような
そんな営為なのかもしれません

たまたま読んでいた丸山健二「夏の流れ」(講談社文芸文庫)
には 茂木健一郎によるこんな解説が添えられています


「他人とにこやかにつきあっていこうとすれば
人はどこかで自分の感覚を麻痺させなければならない
真実は 世間とうまくやっていくこととは 関係ない
仏陀は生と死が交差するこの世界の有様を見て苦しみ
そこからの解脱を求めた 仏陀の道はけっして予定調和
ではなかった(中略)文壇に背を向け 安曇野に籠って
孤高を貫く丸山健二の人生は 深い水脈で仏陀のそれと
つながっている」

「しかし一方で私は丸山が 時には都会の雑踏のなかに
身を置き 私たち現代の世俗に塗れた者たちと 親しく
交わってくれたら とも思う (中略) ”陸沈”という
言葉がある 世俗の社会を離れず しかし超然としている
人間(じんかん)にあり しかし人とは積極的に交わらない
(中略)孤高を貫きながらも 人々の機微に通じるそんな
丸山が 時に世俗の我々の下に降りてくれたなら
しかし 丸山の肉体は安曇野に身を置きながら その精神は
風となり 雲となり 水となって 都会に住む私たちのもとへと
旅しているのかもしれない」

やや長い引用になってしまいましたが
聖なる人にもならず かといって世俗の垢にも染まらずに
”日々を歩いていく” ヒントがここに隠されているのかも
しれません

卑近な例では食品会社が賞味期限を改竄し
建築技師が建築屋と結託して手抜きの工事を発注する
道路公団に至っては”社会の常識は会社の非常識”とやや
開き直って記者会見をする
そんな世界に 僕らもまた 生きています

己が ”目に見えないもの” へと想像する力
己が 世界と自分を切り結ぶ ”約束の橋” を
持っているかどうか
そんなことが 切実に問われるような時代ですね

路傍にも そして私自身にも課すことがあるとすれば
こんな暗い時代にも
”正気を保つ” ことへの
不断の努力かもしれません

長くなってしまいました
この続きはまた
次回の飲み会にでも







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