東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/6/22

6月21日〜21世紀の子供たち  

普段は読むことのない『ミュージック マガジン』が
CDの売れ行き現状に関する特集を組んでいたので
じっくりと久しぶりに目を通してみた

ダウンロードで好きな曲だけを無料や有料で
取り込み i-podなどで聞くことがもはや主流なの
だろうか?
パッケージ商品としてのLPやCDはやがて淘汰されて
いくだけなのだろうか?
あるいは ”アルバム”の概念はどこに?

何だか実感が湧かないし
寂しく またヴァーチャルな光景だとも思う
僕が 年寄りだからそう感じるんだろうか?
いや 僕よりずっと若い人たちでも
パッケージやアルバムというコンセプトに
共鳴する人たちは 幾らでもいる

ただ 原田尊志さんが指摘されていたように
アジアやアラブ諸国の人々ほど 切迫した気持ちで
音楽そのものを享受してこなかったことや
コレクター的な一種のフェティシズムが拡大されて
しまった日本の風土に関しては
考え直してみる必要がある
(紙ジャケ マニアとか これは僕の個人的な感想
なのだが 肝心の音楽をどれだけ聞いているの? 
という感想もある=プラスティック ケースの安い
中古CDを買うビンボーな僕のヒガミもあり^0^)

ここ数週間  殆ど気分が晴れなかったので
夜は 中目黒のバードソングで梅澤くんと飲みながら
談笑した
話の内容は「ネットのようなあまりに手軽にアクセス
出来る環境を手にした一方で 勘違いをする人間や
人との距離を正確に保てない人たちがすごく増えてき
た気がする ある意味 人に対する尊厳や配慮そして夢
のようなものが失われているのかな」

そんなこと
そんな話

「人は何かを得るたびに 何かを失うのかもしれない」
これはむろん
フィリップ マーロウの至言である




















トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ