東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2008/6/25

ロギンズ&メッシーナが好きだった  

ひとりを もうひとりが補完していくような関係性
そんな憧れを抱かせるに十分だったのが
ロギンズ&メッシーナだった

どちらが陽気で 
どちらが暗いというほどのものではなくて
そんな両方っていうものを人は持っていて
時に腕で相手をぐいぐいしたり
奴の歌の背後でテレキャスターをそっと奏でてみたり

つまり 彼らはそのような二人組だった
ロギンズが「川の流れを見つめて」を歌えば
メッシーナは「トラベリン ブルース」を弾く
そして二人とも 旅路のなかで支流が大きく
なることを知る
川の流れが必ずしも楽しいばかりではないことにも
やがて 気が付いていく

彼らの歩みとは およそこのようなものだ
単純な動機と 複雑な結末
もし僕が無邪気な高校生だったとしたら
結末なんていうことすら 考えなかっただろう

彼らが1975年に発表した『ソー ファイン』
このアルバムに 彼らが作った曲はひとつもない
しかし それ故に
どういう音楽が彼らを結びつけたのかが
僕には よく解る



































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