東京ローカル・ホンクの木下弦二さんから初めて電話をもらったのは もう二年ほどまえの夏だったろうか その時にどういう会話をしたのかは忘れてしまったが 僕たちのバンドを知って欲しい 聞いてみて欲しいという彼の気持ちだけはまっすぐに伝わってきた これも何かの縁(えにし)かと思いその後の僕は彼らのライヴに幾度となく足を運び またこれからも もっとライヴに行ってみようという思いは募るばかりだ 東京ローカル・ホンクの良さをどう表現すればいいのかはよく解らないのだが 今日もまた僕と同じように東京の空を眺め 同じような街並を歩き 戸惑いながらも呼吸をしていることは間違いなかった そんな風に自分の側にいるという親しみを持てるバンドに出会ったことに奇跡にも近いような感慨を抱いた まるで広告代理店が書いたような気取った歌詞や 見せかけのポーズや虚勢 あるいは英雄的な態度に終始しがちな日本の音楽シーンのなかで 彼らはいつもの商店街を行き交う人々を観察し 各駅停車の窓から流れる雲を追いかけたりしていた 彼らの織りなすサウンドスケープもまた大向こうを張るのではなく 微妙な感情や陰影そして日向の匂いをデリケートに運び込んできた ときには伊豆半島まで遠出したり草の燃える匂いを嗅ぎながら 結論を急がない心のありようみたいなものは形になりにくい でも僕は東京ローカル・ホンクの答えとか結論を求めない音楽のあり方に惹かれ続けている そうまるで池に投げられた小石のように (小尾隆 2009年6月23日:記)

2009/11/4

意味を求めない作家〜小川洋子のこと  文学

小川洋子の「夕暮れの給食室と雨のプール」
(『妊娠カレンダー』文春文庫に所収)を
再読した

美しい

彼女の作品の殆どを読んでいると思うが
小川の静謐さが短編のなかに凝縮されている
一編として そっと人に教えたい

10代や20代が欲する読書
あるいは近代文学と呼ばれるジャンルは
とかく意味を求める傾向があると思うけれども
そうした点で 小川作品は”意味”に絡め取られて
はいない

むしろ彼女は一貫して声を発さないものに目を向け
それらが発する言葉にならない言葉に耳を傾けてき
た それは匂いであり 色彩であり 肌に触れてく
る感触である あるいは直感のようなものかもしれ
ない

それにしても「夕暮れの給食室と雨のプール」に
於けるイメージの奔流は 読む者を黙らせる
読み手それぞれが夕暮れの給食室や雨のプールを
感じ取り そこに思い馳せる
たぶん それがすべてであろう

意味はあとから付いてくる
意味はけっして付いてこない

そうした沈黙のなかで
私は小川洋子という人の海底へと触れてゆく

私に意味はない
だからこそ 意味は私を規定しない








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