2020/11/22

和に生きた人  


来年のサックス教室25周年関連の告知文書を書いている。
2021年3月21日に2つの演目で周年ライブを行うことになった。

部分引用すると
来年3/21のアレイア25周年ライブ 大勢ホーンズ編続報

大勢ホーンズは、サックスの大人数アンサンブルバンドで、レパートリーのほとんどは私の曲です。
最初は既成曲をやったりもしましたが、ほどなく演奏するならオリジナル!に移行しました。
音楽教室の演奏活動としては、こんなエゴに満ちたブラックな形態はないと思います。
音楽、楽器キャリアは問わず、やりたいです!の輩の集団として活動してきました。
個人プレイを発揮する機会はあまりありません。個であり、より和である場所みたいな(^^)
活動を始めた2008年から2年間ほどは、月2回の教室での定例レッスン以外に、毎月1,2回のリハーサルをしていました。今思えばすさまじい練習量でした。
みんなありがとう。ほんとに。
もしかしたら、みんなに会えるね!

亡き父の名前は和雄という。
昭和2年、事実上昭和元年に生まれたから昭和の和を取ったそうだ。
父は、手先が器用で何でも作ってくれたが、だからといって、他を圧倒する飛びぬけた才能や、人をまとめるリーダー的才能はたぶんなかっただろう。
いわゆる、普通の善良な良きお父さんだった。

しかし晩年、医療や介護の現場にお世話になることが多くなって、知らなかった才能を発揮することになった。
父は、どこにいってもかなりの人気者だった。
看護婦さん、介護士さん、多くの皆さんが「河口さんの笑顔は素晴らしい」「癒される」と口を揃えるのだ。
他人様に特別親切だったり、お世辞を言ったり、口がうまかったり。
そういうこととは無縁で、いつも自然体でマイペース。おしゃべりでもない。
そんな父が、入院中なども看護婦さんに大人気。
母が驚いていたし、私たち姉妹も驚いた。
思えば、三公社五現業の時代に、公社に勤めていた父。
大きな組織で周りとうまくやっていくことは、父の努力の結果だったかもしれないし、持って生まれた才能だったのかもしれない。
しかし、そんな才能はあまりにもさりげなくて、評価の対象にさえならない。

父は自宅で母に看取られ最期を迎えることができた。
5年半に及ぶ母の老老介護が限界に来て、「週末、今後のことを話し合いましょう」とケアマネージャーさんや訪問医が集まる予定の日の前々日、自ら選んだように亡くなった。
亡くなる前日、母の知らせをきいて駆けつけたら、昨日から食べ物を受けつけないという。
そんな中、デイサービスで父が大好きで、たぶん父のことを好きでいてくれた介護士Aさんが、休日にも関わらず事情をきいて飛んできてくださった。
そして流動食のようなものを作り、ベッドを起こして父に呼びかけた。
眠ってばかりいた父が、安心したのかAさんに支えられながらその流動食を食べ始めた。しばらくして落ち着いたので、「お父さん、また明日来るからね、元気でいてよ」と呼びかけた。
そうしたら、父はバツが悪そうに、ニマっと笑った。
具合はよくなかったはずなのに、そのニマっと笑う顔がまるでいたずらっ子そのもの。
それがこの世で見た父の最期の顔だった。
あんな笑顔を遺してくれて、これほどの家族孝行はない。
今もあの、ニマっと笑った顔を忘れない。
和に生きた人。
そんなことを思った父の月命日の一日。




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