2021/2/25

日本記者クラブ  いろいろ


音楽とはまるで関係ないですが。
たまたま見ようとしたYouTubeの画面下に出てきたのがこれ。
磯田道史さんを迎えての、日本記者クラブでの模様です。
2018年モリカケ問題の頃。
テーマは『公文書管理を考える』
1.5時間ある動画ですが、時間を作って是非ご覧いただきたい。
こういう話を見聞きし参加することがマイナーな日本。
好きな歴史をとことん追求し、楽しそうにキラキラ輝き、その深さゆえの聡明で説得力ある意見に、思わずひきこまれてしまいます。

そして今更ですが、日本記者クラブという存在のことを調べてみました。
Wikipediaより引用-----
概要

新聞・通信・放送(在京外国メディアも含む)の報道機関による独立組織で、政府など公的な財政支援は受けていない。アメリカ・ワシントンD.C.のナショナル・プレスクラブに範をとっており、官公庁などの取材拠点としての記者クラブ(いわゆる「出先クラブ」)とはその形態、性格を異にしている。
沿革

日本新聞協会、日本民間放送連盟(民放連)、日本放送協会(NHK)が共同で提唱し日本の「ナショナル・プレスクラブ」として設立された。

戦後20年以上にわたり国・公賓など外国からの要人が来日した際には「日本外国特派員協会(FCCJ/外人記者クラブ)」に招かれて会見し、日本のプレス主催による公式会見は行われていなかった。

これに対し1970年の大阪万博での要人来日ラッシュが予想される中、「日本にもナショナル・プレスクラブを設立すべき」との声が高まった。萬直次・日本新聞協会会長(日経)を委員長として「プレスクラブ設立準備委員会」が立ち上がり、民放連やNHKも参加。これら3団体の長を設立発起人に1969年11月、任意団体として発足した。なおこの時点では諸外国の大手メディアの特派員や記者は加盟することができなかった。

その後、1973年9月に社団法人組織に移行。1976年の日本プレスセンタービル完成・移転に伴い、会員制度を拡充した。これにより在京外国メディアやそれらに所属する外国人特派員の加盟がようやく可能になったが、フリーランスの記者や雑誌記者は加盟できない閉鎖的な体制のまま現在に至っている。
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そうですか、フリーランスや雑誌記者は加盟できないのですね。
閉鎖的な体制なのですね。
それでも、政府など公的な財政支援は受けていない独立的存在なのですね。
だから、こんなテーマでの率直な意見と質疑応答ができるのですね。
当然ながらどの動画も再生時間は長いけれど、テーマにしていることがとても大事なことばかり。
面白いか?だけで、動画を見るばかりではいけない、
社会に関わり、問題点を見つめ考えないといけない。
これだけの活字離れの昨今、せめて動画から始めてみたらどうでしょうか。







2021/2/24

例えば、長(リーダー)って  いろいろ


新会長が決まって動き出してはいるけれど。
オリンピックの長はオリンピック経験者から選ぶしかない?
辞任した長は、オリンピックに出られたのでしたっけ?

長(リーダー)は仕事人であるのはもちろんだが、最大の役目は「この人についていきたい。」という人間的器。
何をどうするのかを論理的に語れると同時に、人々に夢や希望を与える魅力。
時には敵ながらあっぱれ。
自分はそう思う。
もちろんそれらが、かつての戦争への暴走へ繋がるようなことになってはいけない。

自分なら、例えば松岡修造さんとかイチローさんとかカズさんとか。
笑われるかもしれないが、例えばそんな視点の人選はないのか?という話。
たまたま、男女を通じて浮かんだ候補者がこの方々。
男性から選ばねばならない、
女性から選ばねばならない。
同数にしなくてはいけない。
それは、真に男女が平等なことなのか?
疑問に思う。
形式、もしかしたら表面だけ。
そんなことだけを追いかけていないか?
ひいて言えば、社会の様々な事象が、形式をなぞることに夢中になっていないか?



2021/2/11

たとえばオリンピックのこと  いろいろ


宗教はおそらく人類にしかないだろうもので、心の平和、世界平和に深く根差すもの。
それなのに宗教の名のもと、戦いや諍いは果てしない。
ひいては、国と国の政治問題も同様。
思えば、ミュンヘンオリンピックでは選手村での悲しい事件も起こってしまった。
異なるもの・事象が共存するということは、そう簡単なものではない。
そしてきれいごとで済むはずもない。
しかし、その人類が利害を越え、異種を越えて純粋にスポーツを通して競いあうもの。それがオリンピックのはず。

「おもてなし」は、お金を遣えばいいというものではない。
「狭いところですが、」「むさ苦しいところですが、」「何もありませんが」
よかったらお茶でもいかがですか?
ゴハンを食べていきませんか?
泊まっていきませんか?

それでよかったのに。そんな素朴で温かい不変のおもてなしがあるのに。

我が国の某人の発言が世界を巻き込んで大騒動になっている。
オリンピック開催のリーダーは、世界が黒だと言ったが白と言った。
しかしあっけなく黒ですねと言う。
もしも心からの、本当の信念あっての発言なら、なぜそう考えるかを述べ堂々と主張すればいいではないか。
もしもそれで非難されたとしても、その発言に責任を持てる信念があったはず。
コロナ以前に、この軽さが心底怖い。



2021/2/9

対価を支払うということ  いろいろ


新しいSNSが登場した。
「ブログっていうのをやってみませんか?
センセなら、文章を書くのは抵抗ないようだし、これからの時代の発信法ですよ。」
かつて、サックス教室の生徒さんに勧められ、ホームページまで作っていただいた。
それ以来細々とではあるが、今日まで続けている。
しかし私の筆力のなさもあって、時代と共に閲覧数は1桁いや2桁減ってしまった。
かろうじて目にしていただくきっかけも、ブログ自身の存在力ではなく、TwitterやFBというSNSに記事をリンクしているから。
それを忘れた回は...( ; ; )

さらに長引くコロナ禍。
様々な業態がITの世界、つまり動画やSNSを駆使しての活動になだれ込む。
今やあらゆる情報はITで入手でき、そしてその対価は無料。
大回りした見方で言えば、プロバイダ契約料や通信料を払ってはいるから、全く無料ではないけれど。
動画も基本無料。無料。無料。
そんな時登場した新しいSNS。
他者との交流やコミュニケーション、ビジネス、、新しいツールを否定などしない。
自分も多いに利用している。
一方でこうなってしまうと、何かに対する対価を支払うという経済の基本はどこに向かっているのだろう?
世界中がどうしようもない貧富の差に喘いでいるのに、経済の図式もそうなりつつあるのではないか。
対価を支払わなくてもよいに近い、ある社会の在り方を人間自身が作り、自らを苦しめていないか?
ITに限らず、便利になること、技術の革新は必要であり素晴らしいこと。
しかしそれが本当に人間生活の豊かさに繋がっているのだろうか?
一度経験したことを元に戻すことは至難の技。
無料でよいを有料にすることを大喜びする輩などいないだろう。
コロナ禍の改善と克服と共に、本当に今一度考え直すことが必要だと思う。



2020/11/28

Photo is memory  いろいろ


我が家の押し入れには、少ないながらも上京してからの写真アルバムが数冊ある。
デジタルに取り込めばいいのだろうが、写真という物体は、、断捨離廃棄できない人が多いのではないか。
いつもいつもではないし、本当に時折だけれど、じっと見る。
そこには、指でスワイプする瞬間性など存在しない。
過ぎ去った瞬間は二度と戻らないが、写真(動画)に永遠が刻まれる。
身の回りに置いておく大事な家族の写真は、紙焼きしたか”プリントした”ものであって、デジタル写真を表示しっぱなしなんてことはあまり見たことがない。
しかし、すぐに葬儀などでもそういう時代になるのだろう。
携帯、スマートフォンというものができ、同時にSNSなるものが誕生し、どうしようもないくらい成熟した。
誰もが手軽に何かを発信できるようになった。
現代の人々は実に手軽に写真を撮る。日々の暮らしの中で、旅先で。
そしてその多くは、誰かに、時に知らない人に見せるためのものだったりする。
見る人は、それを見かけいいね!を押し、スワイプして次の画面へ移動する。
見ている時間はいったいどのくらいなのだろう。ほんの数十秒?数秒?
スマホに収められた写真たちを、何度も見返すことはあるのだろうか?
旅先で撮った膨大な写真を、その後何度も見返して思い出をよみがえらせ、語ることがあるのだろうか?
思い出は二度と戻らない。この目に焼き付けて胸にしまい、うまいこと覚えておきたい。その助けとして写真があるといいかもしれない。
Photo is memory。


2020/8/1

雨なら濡れる  いろいろ


いつ頃からだろう。
雨の日は配達される新聞に、薄いビニール袋パウチされている。
紙媒体の新聞購読者が減少の一途、販売店さんのサービス努力のひとつだろう。
雨なら紙は濡れる。
当たり前。
しかし、ずっとずっと昔からそのことは不変の事象。
昔はどうだっけ?
グッショリ濡れて、あ〜あの日もあったし、
配達員の方が新聞受けやポストの奥に突っ込んでくれていた。
子供の頃は田舎だったから、時には玄関先に置いてくれたり。

集合住宅が多くなり、小さい郵便受けが多くなってきたこともあるだろう。
それと。
雨に濡れないように、という商品を大事にする精神は尊い。
現に紙が濡れてはちょっと困る。
それとは別にクレームの対応という面もあるのではないだろうか。

昔から、留守にするときは取り置きをしてもらったり、本を買ったり、新聞販売店さんとの付き合いは案外深い。
以前の配達店が廃業されるとき、お疲れ様でしたの電話をしたら奥さんに泣かれてしまった。切なかった。

そもそも配達してもらっている。
客であることは確かなのだが、そもそも雨なら濡れる。
このサービスの手間賃は発生しないし、本当に感謝しかない。

雨なら濡れる。人に託すならいろいろ託す。
雨なら濡れる。




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