「●「私はどうしても取り上げたかったのです」 本文」
考えなければならない事
世の中には、飛びぬけて変わった事でもないのに痛く感動してしまう事ってあるのだと思います。
どてかぼちゃさんのブログの記事のコメントに、こんな一説がありました。
慶さんという方がお書きになったコメントで、
>鉄道に掛ける想いって人それぞれなんだなあって、ちょっと感慨にふけっておりまする。・・・・・・・
こんな書き出しで始まりました。まずはその原文を見ていただけるとよいのですが。
http://ylr.cocolog-nifty.com/ylr/2007/01/post_b466.html
そして慶さんご本人のブログのありかも御紹介します。
http://keiko-isikkawa.cocolog-nifty.com/blog/
もうどのくらい前の事なのかわかりませんが、慶さんのお父上が亡くなる時の話です。申し訳ありませんが原文をそのまま引用させていただけます。
>慶の父親は鉄道の模型にはまり、鉄道を囲む街を作り、70過ぎて、パソコンの中に近未来の都市を作るのにハマり、なくなるときも○○のスイッチを入れてくれだの、街の明かりをつけてくれだの、そのうち「何々よ〜し」「ほら慶、お父さんがよ〜しっていったら、復唱しなくちゃ」慶が「何々よ〜し」といったら、「これでよし、終わった」と言って意識がなくなり、最後の言葉になりました。
悲しくも、なんとも余韻が耳に残る言葉でした。
私はこのコメントからいくつかの事を感じ取りました。
まず人生とはこのようなものでなければならない。このような終わり方のできる可能性は世の中、本当にまれな事なのだと思います。
私にも娘はおりますが、まずそのような事は起こりえないでしょう。趣味を全うする満足感、家族がその趣味を理解するやさしさ、そして自分の生きてきた生涯を「満足」の一言で終わる事ができた喜び、どれをとっても私にとって、理想とするところです。
がんに侵されていたそうで、その激痛の中に生まれた奇跡のように感じてしまいました。

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