人生と言う物は、長いようで短いものなのかもしれません。
若い頃は、将来の展望が無限に広がっているように思えました。
私はすでに両親が居なく、特に父親は私が始めて社会に出た年になくしました。血気だ駆りというか、これから希望に燃えた船出をする時の出来事でした。
家を飛び出して、雪の舞うグランドに宛ても無く行き着き、ただ自転車でそこをぐるぐると回りました。冷たい風を切って目にはいっぱい涙がたまっていました。
その時「人生とは」、という事を始めて考えました。
あれから何年経った事でしょう。40年ではすまないはずです。
父の面影は今、私の心の奥底に同居しています。時には適切なアドバイスをしてくれ、何度 私の危機を救ってくれたかわかりません。
私の息子も、すでに大人となり自立?するようになりました。
私は彼に対し、現在の自分の中から何を残してやれるのか常に自問自答しています。
私には、自分で言うのも変ですが、数々の素晴らしい趣味が在ります。その内の一つが鉄道模型でした。幼い頃に父のお土産でもらったブリキ製の3線ガラレールのSゲージ電気機関車セットがその始めであったと思います。幼稚園に上がる前の話でした。その後幾度と無く途切れはしましたが、現在に至るまでその時の心を大事に引き継いでいます。
息子は残念ながら私の趣味を一つも引き継ぎませんでした。自分独自の道を歩んでいったので、それはそれで喜ばしい事と思っています。
愚息ですが、私は彼にひそかな期待を持っていました。大きな事は何もできなくてよい。ただ優しい人間になって欲しいと。
未だ今後どうなるか解りませんが、実は 彼は今身体の自由が利かない女性と付き合っています。先日初めて彼がその車椅子を押している姿を見ました。
なんとも形容のできない、でも不思議な安心感を覚えました。
もしかして、私のもっとも大切にしていた物を引き継いでくれたのではないかと。
そして、やっと自分の人生の行く先に向けた構想を考えられるようになりました。今New F'Trackブログでも取り上げていますが、「夢の実現」という記事の中で その思いを書いています。実際には実現できるかどうかはわかりませんが、このような夢を持てた事、心から満足しています。
後は私が世を去る時、誰かが傍らに付き添ってくれ私の夢を静かに聴いて、受け止めてくれる状態が実現できたら 人生本望です。

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