翌日の夜のことである、例の添乗員とリッチな奥様風の女性が季節が旬の
生牡蠣を食べに行くのでと誘われ、今度は三人で出掛けた。
パリの11月の夜、その店先では若い男達がゴムの前掛けをしてワゴンに山積み
された牡蠣の殻をむいていた。街灯に吐く息が白く働く熱気の湯気が
彼等の姿を際立たせていた。
薄暗いシックな店内に入るとエキゾチックな顔だちの若い女性がいる
クロークで着て来たコートをそれぞれ預け、今度は初老で白髪の白い上着に
蝶ネクタイのギャルソンの案内で三人はテーブルについた。
ギャルソンが置いていった重厚そうなメニューを添乗員が広げ、
目的の生牡蠣以外の物を女性に何かうながしていたが、
「毛ガニがいいわね、それとム−ル貝のムニエル・・・」よどみない女性の
言葉に僕はかたわらで、うなづくだけだった。ギャルソンを呼び添乗員が
メニューを依頼する、どうやら白ワインも頼んだようだ。やがてワインと共に
生牡蠣が運ばれてきた。砕いた氷が敷き詰められた足付きの銀のお盆に
殻を裂かれた牡蠣が花びらのように盛られ、中央にはゆでた赤い海老の尾が
ピョコンと飾ってあった。海のない土地柄に育った僕には殻付きの牡蠣を
生で見るのも初めて喰うのも初めてで目が輝いた。
ギャルソンがおもむろに氷の入ったバケットから白ワインを取り上げ
オープナーを使ってキュッキュッキュッとコルクを抜き三人のグラスに注いでくれた。
一言『トレビアン!』と発してテーブルから去った。
僕にはまるで手品でもみているかのようだった。
三人は我にかえってグラスを手にし乾杯をした。チーンッというクリスタルの
硬い響きと澄んだ透明の白ワイン、口元に近付けるとワインの芳香が鼻を刺した。
ゆっくり口に含むと青くちぎれていくような快感が舌と喉に広がった。
グラスを置いて、さて、これが生牡蠣かと一つ手に取り小皿に置いた。
ミルク色をしたヌメッとした肌に黒のビロードのような縁がついている。
二人を見ると、どうやらレモンと塩をふって食べるようだ。なるほどと
僕も四つに切ったレモンの一片をつまんで牡蠣の上に垂らすと
牡蠣は一瞬身をよじらせたように見えた。
さらに塩の小瓶をもって、ささやくように振ってみた。今度は牡蠣がたじろいだ。
左手で殻を押さえ右手のフォークで、すくい上げ口に運ぶ。ペロンとすべり込んだ
牡蠣が白ワインの足跡をなどるように丸く踊る。そして噛み締めると牡蠣の
生汁が広がり、思わずため息をつくと、口にしたそれらが合唱したような香りを放った。
そして、また白ワインで、僕の身体の芯へ押し流してやる・・・・
こんな物を食べるという感動も生まれて初めてだった。湯で上げた毛ガニと
ム−ル貝のムニエルもテーブルに並び三人はそれらを楽しんだ。
僕には夢見心地の贅沢な食事だと感慨にふけりながら、ふと隣のテーブルに目をやると
現地のフランス人?の男女が手を握りあってメニューを見ている。やがて
注文の料理が出て食べ終ると、またメニューを眺めては次の料理を頼んでいる。
こっちは頼んだ料理がテーブル一杯に並び三人で競い合うように平らげている。
何?これって・・・僕にはその男女の姿がとても優雅にみえた。
それと見比べ、食べ散らかした皿がある三人のテーブル、何か違和感を感じた。
食べ終えた女性はすっかり上機嫌で、どうやらお会計を任せてくれるそうだ^^
昨夜とは違う天国のようなパリの夜の食事となった。クロークへ行き
コートを受け取った、すばやく、あのエキゾチックな若い女性が着せて
くれた。「メルシーボクー」といって出口へ歩こうとするとコートを
引っ張られた・・・『?』と振り返ると、その女性が般若のような
眉をしている、僕の『?』という顔を見ると早口で何か言った。
チップを請求されたのだった。『アッそうか』僕は5フランの硬貨を差し出した、
一瞬気まずい思いがしたが、どうやらこの国ではチップが稼ぎの一部らしい。
”早飯と早●ソも仕事のうち”などということを教わった26才の僕には
食事の優雅さと異文化を生で体験し、かつ食事代はただ、5フランは安かった。

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