単調で刺激のない田舎の暮しでテレビは次第に村中に普及していった。我家のテレ
ビはサンヨー製で6チャンネルだったが、テレビ局も増え12チャンネルになった。
先の漫画のヒーローも続々とテレビ番組となって登場。鉄腕アトム、鉄人28号も
少年ジェット、まぼろし探偵も怪傑ハリマオもテレビでやるようになった。
ナショナルキッドという番組は現在の12チャンネルでの放送だったから、それが
映るテレビの家に行って見せてもらった。テレビ画面の前に大きく見えるレンズ状
の器具が取り付けてあり、まだカラー放送が始まっていないので七色に色分けされ
て不思議な画面であった。しかし、いつの時代もそうしたアイデアを商品化する知
恵者がいたんですね。やがてカラー放送が始まり、試験放送では我家のモノクロテ
レビでも、もしかしてカラーにならないかと期待したが、とっくに観に来る人もい
なくなり、それは無理というものだった。テクノロジーの進化によって人々の価値
観や生活が変わることを身をもって知った時代でもある。
自転車も電気洗濯機も当たり前の時代になった。そうしたテレビが日常に当たり前
になる頃、多感な思春期を迎えた僕を虜にしたのが、やはり祖母用にと伯父が買っ
たトランジスタラジオであった。
ラジオからは様々な音楽が流れ「小島正雄と9500万人のポピュラーリクエスト」
という世界のヒットチャートを流す番組がお気に入りであった。
「悲しき雨音」「ラブポーションNo.9」「ストップ・ザ・ミュージック」いわゆる
ポップスや映画音楽が流れてくるのである。当時はフランスやイタリアの映画も沢
山上映され、アラン・ドロン主演の「太陽はひとりぼち」など、番組から流れた、
そのテーマ音楽にしびれ、映画館に観に行ったものだ。毎週、世界のヒット曲が
紹介され、ある晩、いつものように寝床で布団にくるまり、聴いていると司会の小
島正男が英国で大人気だというビートルズを紹介した。アメリカのビルボードで何
位だとか、それが「I WANNA HOLD YOU HANDS」抱きしめたい♪だった。
それまでギターのインスルメンタル曲、「哀愁のカレリア」「黒い瞳」といったバ
ラードな曲調が流行った、レコード屋さんへ行って好みのレコードを大きな電蓄で
試聴させてくれた。そんな時代に、いきなりエレキギターが炸裂しシャウト唱法で
迫ってくるビートルズの楽曲は新鮮だった。そして、自分達で作詞作曲し演奏する、
つまり自分達の思いを自らの演奏で表現する。ということに、とんでもないものを
感じた。それはまさしく若者の自己主張で押し込められたような日常に我意を得た
というような思いもあった。次々とビートルズの曲が出されてくる。もうエルビス
・プレスリーだのベンチャーズどころではなかった。「ハードデイズナイト」「ス
ローダウン」「マッチボックス」シンプルでアグレシッブスなロックの虜になる。
片やローリングストーンズが出てくる。これがまた黒っぽいワルのイメージで陰湿
なイメージがあったが、それがブルースから影響されたものだとは当時は知る由も
なかった。デーブクラークファイブやキンクスといった英国のバンドに魅了されて
いった。
不定期でつづく^^

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