彼女の実家で今は亡き義父が愛用していたオーディオシステムを
処分するとかで欲しいのがあればあげると義母から言われた。
部屋に行ってみるとTOSHIBA、SONYやPIONEERのターンテーブ
ル、アンプ、巨大なスピーカー、へッドフォン、ラジカセ等が渦
高くしまってあった。
生前、義父が趣味のクラシックをパイプタバコの紫煙をくゆらせ
聴いている姿を思い浮かべた。主人を亡くし聴かれなくなった、
それらは無惨に誇りをかぶり、配線の赤や黒のビニール線が蜘蛛
の糸のように絡まっていた。もうすぐ業者が引き取りにくるとい
う。くれるといっても巨大なシステムは今の生活には馴染まない。
この間もリサイクルショップでコンパクトなオーディオコンポを
5.250円で手に入れたばかりで若い時のようにレコードに夢中に
はなれない。きっと30代だったら狂喜乱舞で貰い受けただろう。
奥にあったのが、いわゆるステレオ電蓄というターンテーブルが
中央に収まり両脇にスピーカーを内臓した一体型のステレオで
扉を開けレコードに針を落とすアームをいじっていると後ろで
「それ、お父さんが初めて買ったの、大事に聴いていた・・・」
と彼女の母が懐かしむ声でしんみり話した。
しばらくすると業者がやって来た。金髪に染めた頭に野球帽を斜
めに乗せたTシャツにジャンパー、半ズボンの若い男だった。
「えっとですねえ〜ラジカセとカセットデッキ、これとこれは引
き取りますけど他はちょっと・・・」彼いわく、タダで引き取り
東南アジアへ売って儲けをだすという、他の大型のスピーカやシ
ステムは需要がなく引き取るには全部で3万頂きますと言う。
それを聞いた義母は不満の顔になった。それは、いくらなんでも
お父さんが苦労し大枚をはたいて手に入れた思い出が愛着がある
品々であり、それを手放すのにお金を払う・・・釈然としないも
のがあっただろう。
「そんなにするの?だったら都の処分場へ出すから・・・」とな
った。男は手早く売れ筋のものだけ運び出して出て行った。
部屋がちょっとだけ片付いたが、雑然とした光景に私はいたたま
れなくなった。掃除をかねて整理することにした。義母も雑巾を
持ってきて綺麗に拭きはじめた・・・絡み付いているビニール線
を取りスーピーカー、アンプそれぞれを同じ位置にまとめた。
ふと壁をみるとFMを聴くためのビニール製のアンテナがT字型に
小さなクギで止めてあった。
釘抜きを借りてクギを抜いていると、このアンテナ線を張ってい
る時の義父の高揚した気持ちが伝わって胸に来るものがあった。
物も命もやがて、その使命を終え消えてゆく・・・
分り切ったことだが無性に切なくなった。
20代、彼女と出会い恋をして新宿あたりを舞い上がっていた・・
やがて両親と対峙、さしたる力もなかった若い男に戦後の苦しい
時代を苦労して育てた娘を、どこの馬の骨かわからない男にくれ
てやる・・どんな思いであったろう。
生前の義父とは、怒られたとか小言を言われたことがなかった。
訪ねるといつも笑顔で「よくいらっしゃいました^^」とこざっ
ぱりとした真っ白な髪で、その長身を折って招き入れてくれた。
孫が生まれる度に何かと祝ってくれた長女にひな壇飾り、長男が
生まれれば鯉のぼり、やがて成長し保育園の遠足、小学校の運動
会、夏休みとなれば海水浴に八ヶ岳の旅、近隣の湖へドライブと
孫を引き連れた思い出が甦る・・・。
青春は戦争でシベリア抑留、70代後半まで経理畑の仕事を全う
した義父。晩年は奇しくも病いに倒れ数年不自由な生活を送った。
この間、事務所の中から義父の名前が書かれた小さなカセットテ
ープが出て来た・・・長女にもらった小さな録音機で再生すると、
いつの日だったか義父が半生を語っていたのを録音したものだった。
墓参りを終え家に帰った次の夜、いつもの水割りを眺めていたら
無性に義父に会いたくなった。義父似の彼女に言った・・・
「ママ、練馬のあのステレオ、うちで引き取るって、おかあさん
に電話して。」 <終り>
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