去る9月14日、亡き義父母の墓参りに東京小平霊園に行った。
残暑の道中は汗を拭きふきの行程であったが無事墓参りを済ませ、西武新宿線で
新宿に戻る。ひとまず喫茶ルノアールで休憩、美味しいアイス珈琲で汗を押さえる。
久し振りの都会の喧噪にため息をつきながら彼女と窓の風景に見とれる・・・。
「ちょっと、昔、勤めた新映社を見てみたいけど・・」彼女をうながした。
この間、ねんきん特別便というのが例の社保庁から届き、記載項目をみると新宿時代
の二社の分がスッポリ抜け落ちていた。あの頃は性も「長沢」だったからかも知れな
いが、年金はともかく何か自分自身が納得したかった。恐らくその会社もなくなって
いると予想できたが、俺にはサクセスを夢見た東京のスタートした会社であったから
場所の確認だけでもと40年前の記憶を頼りにルノアールを出ると会社があった百人
町へ向かった。
中央線大久保駅と西武新宿線新大久保駅の界隈を歩いたが密集した猥雑な街の風景は
記憶と違い露地を幾つも歩いてみたが、さっぱり分らない。おまけに、韓国人が住み
着いてハングルの文字が目立ち韓国製品の店も賑わい、行き交う若い男女も日本人で
はないと思うと無性に40年という月日の流れが重く感じた。
俺の勝手な思いにつき合わされた彼女も歩き疲れたのか、もう諦めなさいよという風
であった。「もう一度あの通りを・・」確か社長宅があった露地を歩いてみたがそれ
らしい記憶の建物はなかった。記憶と現実が噛み合わない、まるで迷路に、はまった
感覚だった。
新映社は諦めることにして来る時、バスの車中にいた男が教えてくれた目黒のサンバ
まつりへ行こうとなった。(後で分かったことだがサンバまつりではなく”SUNまつ
り”で目黒のサンマに由来したお祭りだった、サンバを踊るブラジルのおねえちゃん
を想像した俺は、やっぱ男ではあった)
山手線で渋谷を通過、目黒駅に着いたがサンバの音も匂いもしない。通りの向こうに
お祭りの雰囲気は感じたが何か場違いな感じがして、ふと近くに住むE氏に携帯を入れ
てみたが留守だった。諦めて駅に戻りかけると激しい神輿の練りの声が聞こえてきた。
何台もの神輿を担ぐ集団が通りのあちこちから飛び出してきた。
「エイさー!エイさー!エイさー!」例の祭りの掛け声に浜松まつりを思い出した。
通りの車列を警官が止める中を男達が一心不乱に錬っている。それを眺める彼女と一
緒にビデオに収め今度は地下鉄六本木経由で新宿に戻る。
新宿南口に出ると、ここも若い人達で埋まっている。ストリートミュージシャンが哀
愁を帯びた曲を唄っている、それを眺める人々。見上げるビルのネオンも今宵の宴の
始まりを告げるように瞬いている。
「三信商事(王城を経営していた)のメトロ会館を確かめたい・・・」と三越の裏手
に回る。「あった^^ここだ」と早速ビデオを回す。見上げる6Fのビルの電飾看板、
居酒屋つぼ八や各階ごとの店の名前、懐かしい喫茶西武の文字もあった。
今夜は新しい二人を見つける為に歌舞伎町の★honky tonk ladisにくり出すのが目的
でもあった。6時の開店時間には間が合ったので2Fの喫茶西武に時間つぶしに入った。
当時の匂いのするクラシカルな店内は満席で待たされた。しばらくしてウェイターの
案内で席に着き店内と彼女を交互に見回しながら30数年前のことを思い出していた。
喫茶西武は西武新宿の前にもあって、当時メニューや店内の装飾のイラストを描いた
りしていた。そこの斉藤マネージャーが可愛がってくれ何かにつけアドバイスをして
くれた・・・・そんなことを思い出していると今にもそのマネージャーが店の奥から
出てきそうな気がした。
しかし考えてみれば彼が当時40代としても今は70代後半、会えたら感謝の気持ち
を伝えたい、しかし生きていないかも?また無性に切なくなった。
例の店の開店時間が来たので西武をあとに歌舞伎町へ向かった。
「あそこが鈴屋だった」「ここが三峰だった・・」「向こうにJUNとかROPEがあっ
たな^^」と人通りをかき分け紀伊国屋の前を抜ける。「あっトップがある」たまに
当時の店を見つけると二人で顔を見合わせた。広い都電通りに差し掛かり「四谷シモ
ンつうのが黒いマント姿で渡っていたのを覚えてるよ」「この辺でアップルの半額券
を配っててさ・・」「あたしなんかタダで入れたんだから・・」などと行き交う人に
は関係のない二人だけの会話が弾んだ。

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