伊勢丹を出て歩行者天国の通りを彼女の後から付いてゆくと、20歳の頃、描いた絵
を並べて売っていた場所に来た。彼女の後ろ姿と見比べて彼女との40年の人生を感謝
した。過去が走馬灯のように浮かび、またあることを思い出した。同じく路上で絵を売
っていた男がある時、私の部屋に遊びに来た。確か亡くなった弟も居て、その男が一万
円貸してくれという同じ絵描きのよしみで貸すと何やらポケットから手帳のようなもの
を取り出してこれをカタに取ってくれ言う。手に取ってみるとそれは在日証明の手帳だ
った。「大切なものだからいらないよ。」と返したが、その後彼は二度と現れなかった。
若かった苦い方の思い出である・・・。
しかし、こうしたトラブルを経験することで人生を学び生き方を修得するのだと思う。
三人の子供達も独立しているが親として彼らの生き方をどうすることもできないがトラ
ブルは自ら解決するもので、余程でない限り手出しをしては遺憾なとも思う。しかし、
たまには困った力を貸してくれと言われたい気もする・・・振り込め詐欺にあう親の気
持ちも分るような気がする・・・。
紀伊国屋、TAKA:Qなど懐かしい店も健在だが大概が知らない店で高級ブランドのグッ
チやシャネルの店もある。修学の為に店に入ると、まばゆい商品に小さくても、まばゆ
い値札がついている。レジでは、さして風体も高級とも思えない若い男女を係員がにこ
やかに応対していた店内を一巡して店を出ると彼女がそっと小さな声で「自分に自信が
ないから買うのよ^^」とまた消費者心理をご教授された^^
西口食堂街あたりにきたら「ブランド品高く買います!」という看板の店の中で若い女
性が何か商談してるのが見えた、売るくらいなら買わなきゃいいのにと思うが、それが
昨今の世の中なのであろう。すごい国だと思うのは歳を喰ったせいだな。
都会の雑踏の中にいると人々のそれぞれの姿、顔立ちから生活を見てしまう・・・・。
普段、自宅と事務所を車で往復する毎日でたまの休日に彼女の買物に付き合うくらいだ
から人々と出逢うなどというのはマーケットくらいだから都会の人込みに圧倒されなが
ら目に飛び込んでくる男や女、様々な人間が行き交いそれぞれの人生を考えてしまう。
何の縁もゆかりもなくすれ違うだけ^^そういえば昔、パリまで行かせてくれた広告会
社で社長に独立するからと辞表を出したら開口一番「去る者は追わず、袖すり合うのも
多少の縁。」と言われた。それと「つまづく石にも多少の縁。」というのもあるけど、
人は何かの縁で付き合い互いの利害で生きてゆく・・・。
小田急前の路上に喫煙場所があり十数人の男女が立ち並びタバコをふかし煙が舞って
いる。側を行き交う人の中には顔をしかめ手で払うような仕草をする者もいるので一瞬
躊躇したが私も一服と近寄ったらジッポーがオイル切れだ。近くに居た小学生の息子を
連れた男に「申し訳ない火貸してくれます?」というと百円ライターを貸してくれた。
「僕、いいね^^お父さんと一緒で^^」とお愛想して礼を言った。
●
私の父親は28才で死んだ、自ら命を絶った。昭和27年私が3才弟が2才で母が27
才。我が国の歴史を知るようになると終戦後の物資のない混乱した時代だったことが分
ると無責任な父親だと思っていたが彼なりの苦悩が分るような気がする。
私も結婚し子供を持ったが、どんな苦境に落ち入ろうと絶対に命を絶つなどということ
はしないと誓っている。昨今世の中が混乱してくると自殺する人間が多いと聞くが大馬
鹿野郎だと思う。この世に命を授けてくれただけで親父に感謝する。
先年、生まれた浜松の家のあった場所も家族で確認し近くの秋葉神社で父親に感謝の
参拝を果した。その後ネット時代になり昔から家にあった入園した幼稚園の記念写真が
あって記憶の底にある園庭にあった木製のシーソーの夢を見ることもあり何とか幼稚園
の名前を知りたくて掲示板に書いたり浜松中の幼稚園に問い合わせしたことがあったが
何と同じ三組町に住む凧の金さんという男から「ニイヅさん、分りました!青葉幼稚園
です。」と電話があった。何と人生は痛快だ。それ以来「浜松まつり」に金さんの招き
で何度か参戦した。いつか孫ができたら父親がしてくれたように初凧を凧の金さんに作
ってもらい松林の緑が目にしみる、あの中田島砂丘の真っ青な大空に舞い揚げてやりた
いと思う。そして遠州灘をバックに記念写真だな^^娘よ息子達よ早く結婚しろ!(笑^^


0