昨日靖国神社に参拝してきました。
参拝を済ませた方々が駅へと向かうのを横に、炎天下の中を向かっていったのですが、実に様々な方々来ていたようで。
若者から家族連れ、年配の方々と。
以前はどうだったか知りませんが、年代・世代問わずに訪れる場所であるのは確かなようです。
思想的に日本が嫌いな人などはどうだか知りませんが。
すれ違うお年寄りの方々に、「戦争体験世代の方々かな?」と思いつつ目を向けると、何となく表情が違うようにも感じたり。
実体験としてあの大戦を知らない自分らの年代とは、やはり意識が違うのだろう。
「尊顔」という言葉を思い出す。
参拝を済ませたあと遊就館に入り見学を。
やはり人が多い。
できればより多くの方々に観てもらいたいと思いつつ土産を買って外に出る。
余談だけど、遊就館の売ってる土産は結構種類が豊富。
一度行ってみるのをおすすめしたい。
こうやって戦没者をまつる神社が今も残ってることがありがたい。
敗戦後の占領時に、征服者がそれまでの宗教や文化を潰すことなんて当たり前。
実際に図書館の書物は焚書されたし、信仰の場所である神社も取りつぶされる可能性はあったのだから。
してみると靖国神社に色々理由を付けて反対してる連中というのは、結局日本古来からの信仰を踏みにじりたいのだろうか? おそらくそうなんだろう。
訪れて賽銭を払い、簡単ながら二拍二礼一拍して感じるのは、こういう場所が反日・左翼という連中にとって脅威なのだろうという事。
何も言わずとも自然に足を運ぶこの場所に来ると、左翼連中の行動が実に稚拙に見えて来る。
どれほど声高らかに叫んだところで、靖国神社のような場所がある限り彼らの声は無効化されてしまう。どれほど理屈を並べてもっともらしいことを述べても、ただ一回の参拝にはかなわない。
なるほど、一生懸命靖国神社を否定したいわけだ。
靖国神社だけに限った事ではないだろうが、天皇陛下・皇室・神社・日の丸・君が代。
こういった日本人であることを意識させるようなものがある限り、日本人は日本人としてたやすく覚醒する。
それらがある限り左翼の目指す革命は達成できないだろう。
逆に言えば、これらに反発する連中というのが反日左翼である、と簡単に見分ける事ができる。
これらを大事に大事にして、後世へと伝えていきたいもの。
などというような事を、昨日を振り返りながら思っている。

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