近年稀に見るタイトなスケジュールをなんとかこなし、今は安息を得んばかりにベッドの上から更新をしている。
しかし、激動の果てに沸き上がった気持ちは複雑だ。ある一方は絶賛を浴び、また別の一方は批判を浴びる。もちろん音楽というのは評論から切り離せない部分が多々あり、なまじ音楽を知っていれば尚更である。
勿論、評論なくして音楽の向上はないのだろうが、その評論が否定的でも肯定的でも些か淋しい。音楽をひとつの媒体としてでなく、全てとして捉らえられてしまっているようで…
人が、音楽を使って自分を奏でるのか?あるいは、音楽が奏でる人間を選ぶのか?
自分は、まだまだ音楽に遊ばれている気がするのだ。故に、自分を奏でるに至ってないのだろう。だから、自分に対する評論は大体が酷評だ。それでも伝えたいことは山ほどあって、また次のステージを求めて旅立つ事を止めない。何かを感じてほしいのになかなか感じてもらえないその歯痒さは、自分をより一層ステージへと駆り立て、そこに立つのは良くも悪くもない、その時の真実の筈だ。それが音楽のジャンルなどによってカバーされ、義務感にかられてしまっては真実ではなくなってしまう。
今までの自分がそうだったと気付き、喜怒哀楽が胸の中を交差をしている、激動の果てである。
くそ忙しかった悟空を支えてくれた方々、どうも有難うございました。明日からまた悟空と活源はリハ再開します。今後とも宜しくお願い致します。

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