真夏の圧倒的な太陽が照りつける中、全ては終わり、始まっていったわけです。
いくらどんなに昔の話と言えども、それは自分の祖父の代までやっていた事です。
何もかもをそれに捧げ、忠義を尽くして果てた時代です。
今は、自分のために生きる事が許されます。
当時その大儀を掲げていた数少ない生存者もまた、然りです。
ところが今は、自分の為にしか生きない人間が多いのが、些か滑稽な描写に自分の目には映ります。
たかだか半世紀前の事なんです。
ものの見事に変貌を遂げた、とでも言いたいのですが、本当は「変貌」ではなく「忘却」になっている現状は、哀れです。
このご時勢、こんな事を思う日本人はどの程度いらっしゃるのか。
もはや想像するのも胡散な気持ちではありますが、敢えて想像すれば、それは微々たるものでしょう。
ただ、自分は夏が来るたび思います。
そのラジオ放送を前に頭を垂れ、泣き唸り、色んな思いを交錯させ、やがて現実を知った彼らの事を。
そしてただ、この平和な世の中で、愛して止まない音楽を、「自由に」やれる事を感謝するに至ります。
さて、明日も暑い事でしょう。
でも、約半世紀前の明日よりは清々しい暑さであると思います。
移動する度に汗を流しますが、それが「冷や汗」でないだけ気持ちの良いものです。
雨雲と太陽が実に見事に交錯する今年の夏ではありますが、降り注ぐ物が火の粉や放射能でないだけありがたいと思いつつ、ハンカチ片手に楽器を右肩に。勇んで歩こうと思います。
今月はレコーディングにライブ、リハーサル、ダンスホールの伴奏…と、色々と楽しい事が密度を高くして並んでいるので、実は先月以上に気合が入っています。
やっぱり自分は、音楽と人と動物と、自然が好きです。
これらと戯れられる日々が、出来るだけ長く続きますように、この忌まわしき8月に、敢えて祈る事とします。暑い時期ですが、敢えて熱く祈ります。

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