例えば、同じバンドに「とてつもなく強力なプレイヤー」がいる環境で演奏するとしましょう。
その場のテンションは、その方に支配されます。
ですが、支配されるのは良い事です。
その場を支配する程の技量とパワーと洞察力を兼ね揃えているプレイヤーならば、リードプレイヤーとして圧倒的なガイドラインになり、その方が放つ音に追従すればそのバンドはまとまります。その圧倒的なガイドラインを作るのがリードプレイヤーの宿命であり、責任でもあります。
バンド内で最もレンジの高い音を出す人間(特にトランペット)がリードだとも言えますが、一概にそうではない。
高い音は目立つので、そちらに合わせる方がまとまりが出ますが、その音に説得力が無ければ話は別。支離滅裂なセクションアンサンブルになります。残念な結果が待ってます。
ポップス系のホーンセクションは、つまりは「ドライでタイトなハイノート」
クラシック系の管楽器の類は、「ウェットでワイドなハーモニー」
とでも言いましょうか。
時と場合により、リードの質が変わるわけですね。
「音を放つ」という事は、とても難しいものです。
楽器ができるから、音を放てる。。。と言うのは、全く持って違います。
楽器ができる、或いは歌える、というのが「大前提」で、その前提の中で音が組み込まれて、初めて「音楽」が成り立つ。
極端な話、楽器を始めて間もない人間が集まって出す音も、音楽なんです。
その人、それなりの音楽を奏でるわけで。
音を楽しんで奏でていれば、それでイイんじゃないかな、と。
ただ、音の持つ性質というのは、人の感情に「ズケズケと土足で入り込む」極めて無礼な物です。
その無礼を、礼儀正しく洗練した音が「音楽」だとすると、それを放つのはとても難しい事と思います。
どんなに派手で下品な音だとしても、それが「礼儀正しく」なければ音楽ではなく雑音になるわけです。
「礼儀」というのは「礼を失わないための儀式」なわけで、ルールなどに縛られるものではないんです。
音楽が、ルールだけで解決できるようなモノならば簡単です。決まり事に添ってやれば良いだけの話ですから。
感情があるからこそ、ルールで片付けられない事も多数存在します。
勿論、ある程度の決まり事がなければ収集つかないのでもっと悲惨な結果になりますが。
例えば、暴走族が放つ爆音があります。
これを心地よいと感じる人がいますか?
…いない事はないとは思いますが、悟空にとっては勘弁してほしい無礼な音の最たる例です。
でも、その暴走族が放つ音が、コンチェルトのような優しい響きならばその夜は安らかに眠れるかもしれない。不思議な事ですが、つまりは色んな風景に化けてしまうのが「音楽」だったり「雑音」だったりするわけですね。
「音を放つ」という行為は、それほど責任重大な事なんです。
楽器が上手い、下手。。。そんな事はどうでもイイんです。
聴いた誰かに与える影響を想像して、その覚悟を持ってして放つ。。。
つまり「気合」です。それで充分な気がします。
過程は「難しい」んですが、終着点からの観点だと「難しくない」事なのかも。
さて、寝ます。。。

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