細かい音符が羅列してあったり、難解なフレーズがいちばめられてる楽譜というのはよく目にします。
そんな譜面と対面したら自分としては、とにかくそれをこなす事を第一に心がけます。
その後、及ばずながらでも音楽的な表現を加えてみたりします。
でも、大概はその難解な譜面をこなす事で終わってしまったり、或いはこなす事で達成感を得てしまってその後は得意になってふんぞり返る。。
なんとなく、どこか寂しいものがあります。
あくまで、「音を出す」事は「手段」であって、「目的」ではないはずなんです。
それを達成できて、はじめてふんぞり返れる。。。とでも言いましょうか。
自分ひとりが良ければ良いわけじゃなくて、全てが良くて初めて「良い」と言えるんじゃないのかな?とも思ったり。
そんな事を常日頃思いながら音楽活動を続けてるわけですが、この週末は、オーケストラや指揮者に恵まれた事もあるんですが、シロタマ(白玉…全音符、二分音符、ロングトーン)を、存分に吹く事ができました。
楽器をやられてる方なら、「目立ちたい」と、多少なりとも思うことと思います。
派手なカッコいいフレーズをやりたい、だとか、しっとりしたバラードをリードしたい、だとか。
もちろん、それはそれで良い事だと思うんです。どんな楽器でも、気持ちの入った素晴らしいソロを聴くと鳥肌は立ってしまいます。
ただ、今日の話題は音楽用語でよく言う「シロタマ」。
所謂、「伸ばし」というものですね。
自分は、実はこの「シロタマ」ってヤツが大好きなもので。
音楽を奏でてる実感が、これでもか!というくらいに湧き出てくるんです。
飲んだ勢いでよく漏らす事があるんですが、自分はソロで吹く、という事よりも圧倒的に、アンサンブルを構築する、という事が好きなんです。
ジャズでもポップスでもクラシックでも、トロンボーンという楽器はセクションで動く限りは必ずと言って良い程「シロタマ」が出てきます。
セクションで動くという事は、トロンボーンが数人いる、という事ですね。
そこでアレンジャーは「分厚いハーモニーをバックにして、メロディーラインを浮き立たせよう」となるワケです。トロンボーンは、もしかしたらそういう意図には打って付けの楽器なのかもしれません。
そのハーモニーラインがとてつもなく美しければ、メロディーラインに多少のヨレがあったとしても「曲」としてはOK!だったりするんですね。サポートが良くなけりゃメインも活きない、メインが活きなきゃリズムセクションも噛み合わない。
良くない事は、相乗効果でどんどん悪くなって行く事と一緒です。ひどい場合だと、誰が何をやってるのかわからなくなるワケですね。
でも、サポートラインのハーモニーが聴こえて、外(オーディエンス)と内(ミュージシャン)が雰囲気を掴めれば、それで良いんじゃなかな?と。
そう、ハーモニーってのは、雰囲気そのものと言えると思うんです。
チグハグなハーモニーだと、その上に立つメロディーなんてのは死んでしまいますから。メロディーが死んでしまったらその曲はどうしよもなく、ただただ終わりを待つだけ。そうなってしまったら、音楽ではなく、ただの雑音になってしまうでしょう。
「シロタマ」というのは、それ程に意味があるものです。
「やってもらう事がないから、とりあえず伸ばしで」ではないんですね。
散々語っておきながら結論付ける言葉がこれか。。。とは思うんですが、つまりは。。。
「ハーモニーは雰囲気!!」
余談ですが、激しいパッセージを吹くよりも、緩やかな曲を吹く方が難しいんです。
技術以上に感性の方が必要なので。
明日から、その感性を磨くために長野県に行って参ります。
帰って来たら、今以上に深みのあるシロタマを奏でられる事でしょう。
「シロタマと言えばアラカワ!」って噂がたったりしたら、それ以上に望むモノもないかもしれません。
ただ、シロタマってのは疲れるんです。何せ楽器に息を入れっぱなしだから。
でも、自分の方向性がわかってきました。
セクションプレイこそ我が歩む道です。
ソロは、できる方にお任せします。
その代わり、そのサポートは最大限、努力します。お任せください。

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