
擁護冣朦殿と書かれた扁額は大隆寺弁天堂にかかっています。書は館柳湾の手になるもので、その筆勢に圧倒される見事な扁額です。
館柳湾は、(1762〜1844) 越後の人 父は廻船問屋の小山安兵衛という。父の実家を継ぎ館姓を名乗る。名は機。13歳で江戸の出て亀田鵬斉に師事す。長じて幕府に俗吏として使える。飛騨高山・出羽金山等に勤務する。67歳で致仕後、江戸は目白台に隠居する。漢詩人として名を残した人でもあります。扁額の意味するところは、月を愛でるにはうってつけの場所とでもいうことでしょうか。

この辺りの田や畑は最近の耕地整理で一変してしまいましたが、小学生の頃は春になるとスケッチ鞄と弁当を持って乗鞍を描きに行ったところです。春の日溜まりでスケッチに飽きると春の野をかけずりまわった思い出と、かさなる地でもあります。

0