
昨日は二十四日市でした。土曜日と重なった今年は多くの人出でにぎわい、今日の新聞報道では約4万7千人の人出があったと伝えています。
旧暦を使っていたその昔は、12月24日に行われており、正月準備の農家の人々が手作りした生活用具などを持ち寄り、売り買いをしたのが市の始まりと伝えられています。戦後本町通りが商店街として発展したため、今では本町通りと安川通りの商店街を中心として賑やかな冬の風物詩として定着しています。
昭和6年から8年にかけて本町通りは、6間半・約12mの通りとして歩広め拡幅され、多くの商店があるいは川東から転居したり、新たに出店をして商店街として発展してきました。
戦後若い世代の後継者達が、復員したり家業に従事するようになり、復興へ向けての取り組みに熱心に活動し、戦前の賑わいを自分たちの手で復活しようとして取り組んだ行事の一つに「二十四日市」がありました。新年の初売には人出でごった返したのがその頃の本町通りでしたが、近隣の村々や市内近郊に二十四日市を知らせる手作り墨書きのポスターを貼って歩いたのもその頃のことです。私達子供も良くついて行ったものです・・・。
またその頃は良く雪が降り、「おかっつあま」方は爪革のついた「ぶくり」で出かけられたので、凍てついた雪道で良く転ばれました。骨粗鬆症で転倒するとすぐ骨折つながる現代からすると、大きな怪我につながらなかったものだと思います。その頃の二十四日市名物の一つに、黒砂糖のかち割り販売がありました。私の家の筋向かいの「カワマサ」の先代は、直径一m以上ある大きな平たい樽に詰められた黒砂糖を、鉄の棒をふるって店頭で割りながら販売するのですが、小片を良く試食させてくれました。特に子供には良く振る舞ってくれました。なつかしい思い出の一つです。
戦後60年が経ち、世の中の変わり様は大きなものがあります。出来るだけ良き伝統を守っていける商店街として努力していきたいと思っています。寒い一日でしたが今年も無事終えることが出来ホットしています。画像はまだ人出の少なかった十時頃と賑わう店頭の様子、店じまいする前の四時過ぎの家族の様子です。

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