
昨日岐阜新聞の「現論」のコラムに書かれた、法政大学総長田中優子さんの「安保法案」と題するコラムをを読ませていただいた。「平和と安全という言葉が強調されているが、平和が戦争を意味するのであればもう平和という言葉は使えない、これからは非戦と言い換えよう」という主張であったと思います。
前半では過去の天皇の権威への依存を例に挙げて、「依存はいかなるものであろうと責任を伴う対等な関係でなく、『ついていけば大丈夫という』根拠の薄い怠惰な神話に過ぎない」と指摘されておられた。グローバル化する社会の中で広く世界に目を向け、独自の深いかかわりを持つべきとも主張されていました。いろいろな意味で考えさせられる指摘ではなかったかと思います。
文中の依存という指摘から思い起こさせられたことは、私たちが取り組んでいる議会改革についてです。市民の評価に繋がらないもどかしさを感じる事の一つに、市政に関する依存体質の問題があります。いわゆる「市長与党」という言葉に代表される依存体質の問題です。我々が取り組んできた議会改革に対しては、「市長反対会派」というレッテル張りで誹謗されることが続きましたが、ここにきてまだ市民の中にそうした感覚で物言う人がいることも現実です。少し時代遅れの考え方だと思うのですが・・・。
二元代表制の議会の役割をもう一度確認し、さらに一歩改革を前に進める事こそ今期の議会の重要課題であると認識しています。議長立候補に伴う所信表明や、議長就任あいさつではそうした認識で取り組むことを申し上げました。
夏のような天候が続き、あちこちで朴葉寿司の話題が取り上げられている中で、我が家も作りました。そしたら師匠からもおすそわけが届きました。左が我が家のもの、右が師匠の朴葉寿司です。酢加減と酢飯の具合がやっぱり師匠のものの方が一段上でした。ごちそうさまでした!

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