前回触れた『
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』の中でノウルウェーでの刑罰制度や同国内の刑務所も取り扱われていたので、
この機会に日本の
死刑制度についてのごく個人的な日頃の所感を上げたいと思います。
法律や刑法についてはド素人ではありますが、約1/1億の意見としてUPします。
死刑と無期刑の間に何故『
終身刑』が制度として日本には存在しないのか? ごく個人的には昔から単純に不思議でした。今でも甚だ疑問です。
(ここでは便宜上 以下、仮釈放の絶対に無い無期刑を『終身刑』、仮釈放が将来において有り得る無期刑を『無期刑』と表記します。)
死刑では重すぎて、シャバに戻すにはヤバ過ぎる罪人には、終身刑こそが相応しいと考えます。
しかし終身刑が制度として存在しない日本では、そのような罪人を死刑か無期刑かのどちらか一方に振り分けねばなりません。甚だ不合理に感じます。
そのような罪人をシャバから永遠に隔離するには、死刑にするより他にないでしょう。
(そのような罪人を無期刑として、いずれ仮釈放で世間に戻ってシャバのカタギに更なる犠牲者が出てしまったら、国家や司法はその社会からの信頼が揺らいでしまうからです。)
世間では世界的な潮流を受けて死刑廃止の議論も近年は盛んなようですが、死刑廃止を云々する前に、まずその大前提として終身刑を制度として導入し定着させるべきと考えます。
終身刑が制度として存在していない現状で死刑廃止を唱えても、空理空論に聞こえます。
死刑制度を残すのか?なくすのか?を議論する以前に、そもそもの大前提として、まずは終身刑の導入を図るべきと考えます。
終身刑に反対する方々の主張の1つに「罪人食わせる銭が無駄。さっさと殺して節税せよ。」と言うものがあると思います。一理はあるとは思います。
個人的にも今いる死刑囚の全てを終身刑扱いにする必要は無いと思います。
現行犯逮捕などで冤罪の可能性が極めて低く、尚且つ刑の速やかな執行を自ら希望している死刑囚の場合などは、必ずしも終身刑のような扱いにする必要は無いと思えるからです。
しかし物的証拠が乏しく主な証拠が自供しかない場合などは冤罪の恐れも拭えないので、性急な死刑の執行には反対です。
冤罪による死刑執行の事例が多ければ、国家は国民からの信頼を得られません。愛国心など尚のこと得ることなど出来ないでしょう。
真犯人の発覚などによって冤罪の死刑囚の無罪が証明された場合、死刑を執行していなければ国家や社会はその冤罪の元死刑囚に対して償いの機会を得ることも未だ可能です。しかしもしも既に刑が執行されていたら、その機会は永遠に失われてしまうでしょう。
そのような事例が数多くあるのなら、何処の国であっても、その国家は国民からの信頼を得ることは難しいと思います。
今の政権は国家に対する愛国心を国民に対して殊更に強要したいようですが、であるならば、国家の側も国民に対して制度として愛国心を持たれるような社会制度を整えて行くべきだと考えます。少なくともその努力をしている姿勢を国民には見せるべきです。
刑罰については、制度としての終身刑くらいはさっさと導入すべきであると考えます。
また、「罪人食わせる銭が無い」と言うのであれば、今の時代なら刑務所や拘置所の屋根に太陽光パネルを並べて自家発電なり節電なり売電なりして、そのアガリをあてがえば良いでしょう。(公共の建物こそは率先して太陽光パネル等を設置して産業転換への範を垂れるべきです。刑務所や拘置所をその例外にする必要は無いと考えます。)
今の日本国は先進国であり、周辺の弱小貧国や三等後進国とかとは違うのだから、囚人を食わせる程度の国力は充分にあるのではないでしょうか。
刑を執行することによってそのテロ集団の組織内で神格化されてしまう恐れのある場合については、寧ろ逆に生き恥を晒させ続けることによって、その組織の信者達のマインドコントロールの解除に(可能なら)利用すべきと考えます。
また、証人として裁判などで未だ利用価値のある死刑囚についても、性急な刑の執行には反対です。そのテロ組織に関連する裁判のある度に、証人として出廷させ続けて真相の解明に利用し続けるべきと考えます。
但し、もしも社会が混乱してそれらの死刑囚達がそれらと組織を同じくする反社会勢力によって奪回される恐れが生じた場合には、当該組織の死刑囚達を時の法務大臣が迷わず速やかに処断すべきであると考えます。その時には断じて迷ってはならない、と少なくとも個人的にはそう考えます。
現在の日本の法律では死刑判決の確定した死刑囚については、法務大臣は6ヶ月以内に刑を執行させることになっているそうです。…が、
しかし実際には様々な事情や理由や政治上の判断などによるのかと推察いたしますが、報道等を見聞きする限りでは一般的に死刑の執行は先送りされる傾向が強いようです。
冤罪の可能性が疑われる場合や、死刑の執行が社会的には逆効果の影響が予想される場合、或いは生き証人として未だ利用価値がある場合など、刑の執行が先送りされる理由は様々あるかとは思いますが、その意味では死刑囚の延命については法律の条文においても政治上の判断の入る余地がもう少しはあっても良いような気も個人的にはいたします。
個人的には制度としての死刑は廃止するのが望ましいとは考えます。
しかし今は未だその議論の前提が整っていないとも感じます。終身刑の制度を導入しないままに死刑廃止を訴えても、世の中のコンセンサスが図れるとは思えないからです。
まずは制度としての終身刑を導入し定着させるべきと考えます。
冤罪の可能性も残る凶悪事犯の場合などは、終身刑にしておくのが無難かとも感じます。
日本に限らず一般論として、終身刑の服役囚の存命中にもしも国家的な恩赦が二度あれば、一度目の恩赦で無期刑に減刑,二度目の恩赦で仮釈放という具合に、終身刑の服役囚にも仮釈放の可能性はあるかと思います。
凶悪犯罪の再犯が行えないほどの枯れて久しいジジイになってからの仮釈放なら個人的には「アリ」かと思えます。
同じ理屈なら、存命中にもしも国家的恩赦が三度あれば、死刑囚にも仮釈放の可能性は有り得るかとは思います。
しかしそれでも、凶悪犯罪の再犯が行えないほどの枯れて久しいジジイになっていたとしても、死罪相当の罪人には仮釈放は「ナシ」だと個人的には思えます。
死刑制度は「制度は残したまま運用上においての事実上の実質的な廃止」と言う方向が取り合えずの目指すべき現実的な道ではないか?と個人的には考えます。
『世界侵略のススメ』で紹介されていたポルトガルの警官達のささやかな主張には厳粛なものを感じます。傾聴に値すると思います。
しかし、同じく『世界侵略のススメ』で紹介されていたノウルウェーの刑罰の事例については、人類社会の目指すべき1つの理想的な刑罰制度かとは思いますが、ぶっ飛び過ぎてて個人的には感覚的にはついて行けないです。昭和育ちの古い人間だからでせうか?
ノウルウェーの理想的な刑罰制度への挑戦的な姿勢は大いに評価されるべきものなのだと思います、多分。
刑務所の物件が破格なのも死刑や終身刑が無いのも外人たる日本人が口出しすべきことではありませんが、“無期刑”も無く懲役も最長で21年と言う刑罰制度は、1990年代半ばの一連のテロ事件を考えると日本には決して馴染まない制度だと感じます。
取り合えず世間での死刑廃止議論についてのおいらのごく個人的な意見としては、「議論以前に、議論の大前提として、まずは終身刑の導入と定着を」とゆー所であります。
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