本日、
JR西日本の管内(北陸線)である敦賀で、
JR東海のイベントである「さわやかウォーキング」が行われました。
※長浜〜敦賀間及び永原〜近江塩津間の「直流化」に伴う「祝賀セレモニーイベント」として行われたもの。これにて(正確に言えば9月中には既に直流で運転されていたのだが)北陸線の交流区間は敦賀(正確にいうと敦賀〜南今庄間の敦賀方にデッドセクションが存在)〜糸魚川(これまた正確にいうと糸魚川〜梶屋敷間の糸魚川方にデッドセクションが存在)になりました。
敦賀・金ヶ崎城址のある山の麓にある「中池見」の古民家を移築したもの。
何でも「典型的な敦賀風の民家」だとか。
金ヶ崎城址からの眺め。
南北朝時代と戦国時代の二度戦火にまみれたといいます。
後醍醐天皇の皇子である恒良親王、尊良親王はこの地で亡くなりました。
また織田信長はここを拠点にして徳川家康とともに朝倉義景を攻めたのですが、味方のはずの浅井長政(妹の婿)の裏切りにあい退却を余儀なくされました。
この時信長・家康連合軍の殿(しんがり)をつとめたのが木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)です。
JR貨物・敦賀港駅。
敦賀港駅は今でこそ貨物駅になっていますが、その昔は旅客駅であり、ここからロシアのウラジオストックに向けて国際鉄道連絡船が出ていたといいます。
因みに列車の先頭に立っている機関車はDE10型ディーゼル機関車。私の好きな機関車の一つです。
敦賀駅前にある「敦賀」の名前の由来である任那の皇子・都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)。
「角がある人」という意味なのですが、実は朝鮮・唐国風の兜の前立が「角」に見えたようです。
彼が流れ着いたことで「角鹿(つぬが)」となり、それがなまって「敦賀(つるが)」となりました。

こうしてみると古墳時代から開けていたんですね。

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