昨日、飯田線の下川合駅→中部天竜駅でのさわやかウォーキングがおこなわれたので行ってきました。
行きに使用した117系(東海バージョン)

下川合駅付近の鯉幟。

松山公園(小高い丘。途中には四国八十八箇所に準えた石仏がある)より佐久間ダムを望む。
因みに飯田線の中部天竜と大嵐の間は佐久間ダム建設に伴う路線付け替え区間です。
この間に存在する城西駅〜向市場駅間に存在する岩盤がどうしても彫りぬけずに作られた、対岸手前でカーブして戻る形になる通称「渡らずの鉄橋」こと「第六水窪川橋梁」(通称「渡らずの鉄橋」)も国鉄時代に作られた産物なんですよ。
※他に川路と時又の間も…JR東海になってからの「天竜川治水工事に伴う付け替え区間」です。

同じく松山公園から中部天竜駅を眼下に望む。

マイクロバスを改造した保線用車両。

さてこれはなんだかお分かりですか?
「タブレット閉塞」区間において通票を入れておくための「通票箱」です。
正面衝突事故防止のため、駅員同士が連絡を取り合って操作し、これから出したタブレットをキャリアに入れて運転士もしくは車掌に持たせ、その上で信号を「進行」にして出発させます。
運転士さんが口にする「出発進行」という言葉は「発車します」ではなくて「出発信号が進行を現示している」という意味なんですね。
「タブレット閉塞」は残念ながらJR東海管内では見られません。
※名松線で見られるのは色灯信号による「票券閉塞」です。
※おまけ=373系「伊那路」
因みに今年は飯田線全通70周年とのことです。
飯田線は豊橋駅〜大海駅間を「豊川鉄道」、大海〜三河川合を豊川鉄道傍系の「鳳来寺鉄道」、三河川合駅〜天竜峡駅間を「三信鉄道」、天竜峡駅〜辰野駅間を「伊那電気軌道」→「伊那電気鉄道」という四つの私鉄が建設、開業しました。
昭和18年には「戦時買収」により国鉄の仲間(この時、豊川鉄道と鳳来寺鉄道は証券類のみ名鉄に合併した)になり、昭和62年の国鉄分割民営化後はJR東海の路線になって現在に至ります。

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