遅くなりまして、誠にすみません!!m(__)m
全文は書かせていただくことができませんでしたが、『こふき』の十六年本(桝井本)から少し抜粋させていただいて書かせていただきたいと思います。
『みのうちわ神のかりものなり。人げんしゆこふくたさる神わ、國とこたちのみ事(命)、おもたりのみ事(命)、この二はし(ら)の(神)わ(も)との神、あとなるの八はしらの神わ人間をこしらゑるにつき、つこふたどふぐ主(衆)に神なをさづけたもふ。この拾(十)はしらの神わ、(こ)のよふのもとの神なり。
このわけさ(左)に
くにとこたちの命わ、天にては月様なり。この神わ男神にして、おんすがたわ、かしら壹つ、おふわひとすじのたいりやうなり。このせかい、國とこをみさためたもふ。このりをもつてくにとこたちの命とゝゆう。また國をみさめたもふゆゑに國みさゝめの命とゆう。人間をやとしこみたもふときに、かみよりつくがゆゑに月様とゆふうなり。月様がさきにた(つ)ゆゑに日月とわいわれづ、月日とゆう。三十日をまた一月とゆう。ぶつぽふにてわ、しやかによらいとあらわれ、ぶつぽふをさつけたもふ。また、さきにいでゝほふをはじめたもふにて、ぜんじゆう様とゆう。人間みのうちめのうるをいのしゆうごふの神様なり。則(即)めわこの神様のかりものなり。
おもたりの命様わ、てんにてわ日輪様、この神わ女神、御すがたわかしら十二の三すじのおふに三つのけんある大じやなり。この神様わ人間やとしこみたもふ後わ、日々にみがおもくなるゆゑに、おもた(り)の命とゆう。日〃にりをま(わ?)すゆ(ゑ)に日輪様とゆう。をふに三ツのつるきあるゆゑに、このりをあ(し)きな女わじやけんといまにてもゆうなり。かしら十二ある壹つのかしらにて、十二月のあいた、壹月づ〃かしらかわりて、しゆうごを事。日〃かわりてしゆうこう。又、十二時(とき)つゝかしらかわりて、目を壹時とすしゆうごうあるゆゑに壹ケ年を十二月とさゝめ、壹日を十二ときとゆう。十二支のほふかしらをとりまきか(わ)りてしゆごうあり。このりをもつて十二支とゆうなり。ふつほふにては三づん(尊)のみだによふらい、また、こゝろすんだるりをもつて、せいしくわんおん、おふきみゑるゆゑに、くわ(ん)たいともゆう。くわんおんとゆうもをなじりなり。人間のみのうちぬくみのしゆごうの神、又ぬくみわこの神様のかりものなり。
この二はしらの神様わ、このよふの人間のじつのおや様。人げんにわこのよふ御てらしのごとくいりこみ、ごしゆうごなされ、ゆゑに、じゆうふじ(ざ)いをかなを(う)ことなり。
のちなる神様わ、この貳柱の神様のしゆうごふによつて、おんはたらきあることなり。』
もし、『こふき』に興味をもたれた方は、ぜひ一度、『こふきの研究』を読ませていただいて下さい。
『こふき』には、何種類もあり、『こふきの研究』には、十四年本や十六年本について詳しく書かれています。また、『こふきの研究』には、十五年本がありませんが、『根のある花』(道友社刊)に書かれていますように、敷島大教会二代会長様の『山田伊八郎文書』の中に書かれているものが「十五年本」といわれるものではないか!?ということです。
また、時間がとれた時に、和歌体の『こふき』なども書かせていただきますので楽しみにしていて下さい。

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