このように、お道でも「さんげ」というのは大切なこととされていますが、しかしそれは単に過去の心遣いや行いが間違っていたと気づき、告白するというだけのものではありません。まず第一に、そんな心遣いや行いをしてきた自分であるのに、今日まで深く大きな親心で抱きかかえて頂き、お連れ通り頂いてきたという、親神様への感謝の心をしっかり持つことが大切なのです。否、むしろ、親神様の限りない親心を味わい、喜びと感謝の心が湧(わ)いてきてこそ、心の底から「さんげ」もできると言うべきでしょう。また逆に、心底から「さんげ」するだけの自覚ができた時、親神様の厚いご恩のほどが身にしみて味わわせて頂くことができるのです。
『今の一時の諭しを聞いて、芯から前々の理が分かり、嬉しいと思えば、一つ“さんげ”が出来ねばならん。』(明治24年1月28日 おさしづ)
という親神様のお言葉もあります。
お道の「さんげ」とは、さらに、この感謝と喜びの心をもって、これから後はこのように歩みますと、今後の歩みを心に定め、どこまでも実行していくということが、何よりも肝心なのです。ただ悪かった、すまなかったという過去の謝罪だけではなく、今後の歩みそのものが「さんげ」の道なのです。
親神様は、
『さあ/\“さんげ”/\、聞いて道を守るなら“さんげ”という。』(明治23年6月20日 おさしづ)
『“さんげ”だけでは受け取れん。それを運んでこそ“さんげ”という。』(明治29年4月4日 おさしづ)
『これまでの“さんげ”は言うまでやあろうまい。見て“さんげ”、見えて“さんげ”。後々の事言うまでや。これから生涯先の事情定めるが“さんげ”。』(明治25年2月8日 おさしづ)
と教えられ、また、
『“さんげ”という、将来思い返さんのが“さんげ”。将来それが治まるなれば、何にも言う事無い。』(明治40年4月9日 おさしづ)
ともお諭し下さっています。親神様の思召をよく思案し、これから先、生涯かけての歩み方を決意し、狂わすことなく実践していくことが、本当の「さんげ」になるのだと教えられているのです。(《お道のことば》深谷善和著 道友社刊より)

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