『おふでさき』が第四号まで一段落しましたので、今日は、“理の親子”について少し書かせていただきたいと思います。
人間は、夫婦となり子供を授けていただいて、立派に成人させることが、神様からお与えいただいている役目だと思います。
そして、お道の信仰の上においての“親”にならせていただこうとするならば、なおさら真実の親心をもって“をや”の代わりをさせていただいて“子供”を育てさせていただかなければならないと思わせていただいています。
僕が、現在お与えいただいています“理の子”は、精神の身上ゆえに、心が毎日、あるいは朝昼晩、時には時間単位で、ころころと変化してしまうために、なかなか“おたすけ”の現状を書かせていただくことが難しいのですが、ここで、少しだけ“理の子”のことをお話させていただきたいと思います。
僕は、“理の子”にどんなむちゃなことを言われても、決して腹を立てないようにさせていただいています。
僕には、“はらだち”のほこりがうずたかく積もり重なっており、すぐに短気や癇癪を起こしてしまう人間でした。(^_^;)
しかし、“理の子”をお与えいただいてから、まったく腹が立たないようになりました。
どう考えても普通だったらキレてしまうようなことであったとしても、「ああ、これは僕自身の因縁を見せていただいているんだ、しっかり“たんのう”させていただこう。」と思うとぜんぜん腹が立たなくなりました。(というよりも神様がして下さいました。)
このことは、“理の子”自身も認めてくれていて、「先生(と呼んで下さっています)、今までたいがいのわがままやむちゃくちゃなことを言っても腹を立てられないようになりましたね!」と言ってくれています。
実は、彼とは30年来の付き合いで、昔の僕のことをよく知っている方なのです。
そして、最近、「僕は、はじめて有神論者になりました!!実は、つい最近までは、がちがちの無神論者だったんですよ!!」と言ってくれています。
「なんで?」と僕が聞くと、「四年間も痛くて痛くて医者に行って水を抜きまくってもらっていた膝の痛みが、ウソのように治りました。」と…。
また、以前も少しだけ書かせていただいていましたが、20kmくらい離れている家から、道も知らないのに、また、雨がざざぶりでメガネもくもってしまいまともに走れるような状況じゃなかったところを、危ないからと制止させていただいている僕の言葉をまったく聞かずに無理をおし通して、バイクで天理まで来たことがあります。
これは、後で彼が教えてくれたことなのですが、やっとのことで、天理に着いて○○の詰所はどこですか?と聞きに入ったところが○○の詰所だったと言うのです。
また、つい先日は、勝手をして月次祭にずいぶん遅れて来られのですが、今度は「確かに左両輪が脱輪して川にはまったと思ったのに、車が宙に浮いてるんですよ!!あんな不思議なことはありません!!」と言っていました。
「そういうことなどがあったので、僕は神様を信じないわけにはまいりませんよ!!」って言ってくれています。
僕も半信半疑でしたが、彼がそういうのだから間違いないのでしょう!!
“よくとこうまん”の狂った心が、おぢばに教会にと、どうしてなりとも帰りたいという善の心に一途(一条心〔ひとすじごころ〕)になったがゆえに、親神様・教祖(おやさま)は、ほんとうに結構なご守護(奇跡)を見せて下さっているのだと思います。なんとかして彼を救けるために。そして、神様の目には何かが見えているのではないでしょうか!?
また、本来ならば、単独布教に出て我が身を捨て切って艱難辛苦の道を通らせていただかなければならないところを、たった一人ではありますが、世間や親戚はいうまでもなく、親兄弟とも諍いが絶えず、ほとんどもう見放されていたような難しい気の病の“理の子”をお与えいただき、人間力ではどうしようもない危ない中を暖かい“をや”心をもって何度も何度も救けて下さり、気長に導いて下さっている親神様・教祖(おやさま)に、ほんとうに心から感謝させていただいています。

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