忘れない為に、記録の為にちょっと書いておきます。
2012年7月12日。
その日は本当によく雨が降りました。よく降るな・・くらいの感じで普通に就寝。
数時間後の明け方4時30分。物凄い勢いで家のドアを叩いて大声で叫ぶ人。激しい雨の音、まだ真っ暗な外。電気をつけて玄関に出ると、近所の人が「水が上ってきた。先に車を移動させろ!今なら間に合うから!」
・・・「はぁ?何が?何の事?」である。
まったくをもって意味が解らなかったが、微かな街灯の明かりで見えた外の感じがおかしい。家の前の道路がおかしな事になってる。状況を把握し、急いで営業車に飛び乗る。仕事の機材やバイクが入っているからね。とりあえずこれだけはと、約150メートル先にあるコイン精米機のところまで行けばココよりかなり高くなってるから、とりあえずそこまで。道路に出ると既に車のバンパーまで水が来てた。何とか営業車を置いてザブザブと急いで家に帰り、もう一台のプライベート用の車も逃がそう・・・と思ったけど、その時既に自分のヒザ上まで水が上ってきていたから「もう無理だな」と判断して諦める事に。なぜあっけなく諦めたかと言うと、実はうちの家は道路より70センチほど上って建っているのだ。だから、まさかココまでは来ないだろう、そうあって欲しい・・と、半分半分の気持ちだった。結果的に、それでも車の半分は水没する事になるんだけど、その時はそうは思わなかったから。
さて「瞬く間に」「あっという間に」ぐんぐん上がってくる水位。今度は自分が避難しなければ。とりあえず今から水の中を逃げる訳なので短パンとTシャツに着替えて、必要最低限の貴重品と着替えを数枚バッグに詰め込んで大きなゴミ袋に入れた。一応テレビやパソコンは高い台の上に避難させたけど、その他はもう時間が足りないので諦めて。
外はまだ土砂降り。夜が明ける時間だけど土砂降りの空で、まだ暗い。頭の上にバッグを乗せて道路に出た時には、既に70センチの水深。そこから約5メートルほど下り坂。そうは言っても緩やかなものなんだけど、そこには流れもありいよいよ肩の下まで水に入る。あと少し行けば大丈夫・・ゆっくりと足を進めて何とか高い所に辿り着いた。振り返ってゾッとしたよ。どこから来たか分からない大きな流木やプロパンガスのボンベや、色んな物が渦巻いてたからね。
行く当ても無くとりあえず友達の居るマンションを目指すことに。途中通る商店街も全部水没してる。黒く濁って見えない足元を色んな物がぶつかってくる。低い位置にあった駐車場ではハイエースサイズのワンボックスが天井まで水没してプカプカ浮いてた。
何とか友達のマンションに避難させてもらい、テレビで事の大きさを知る。携帯のエリアメールが引っ切り無しに鳴り続く。避難命令のエリアがどんどん拡大して、ついには我が家も吸収された。そこから1週間、家に帰れなくなってしまった。裏の山が崩れ始めたんだって。テレビで知ったけど、裏山の反対側の斜面が崩れ死人が出たと。その後も続々と山は崩れ死亡者が増える事をニュースで知る。どれも見た事ある場所。降り始めからの雨量が800ミリを超えていたんだって。そりゃ山も崩れるよね。そして約1週間後、避難指示が解除されてようやく家に帰れる事になったけど、畳を換えたり床を剥がして消毒したり大変。エアコンの室外機も全部水没してたし(あ、車もね)ボイラーも作動しないし、結局その後も友達のマンションにお世話になり朝から家の片付け〜マンション〜の繰り返しの日々だったなぁ。貴重な体験だった。もうマジ勘弁だけど。
結局阿蘇地方だけで20人を超える死者を出し、未だ1人は行方不明のまま。山の下に居るから、自分も他人事じゃなかった今回の災害。亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
あと、避難指示出てる間に空き巣被害が多発したらしい。夜中にトラックで家を回って、テレビやブルーレイやパソコンとかを根こそぎ持って行くんだって。この地域は誰も居ないって分かってるからね。捕まえて町中引き回しの刑にでもしてやりたいね。
どうか大きな天罰が下ります様に。まじで。
写真はまだマシな方。もっと水位が高い所が沢山だったよ。
線路は水圧で信じられない力がかかってこの状態。
