Nipponophone JW667 78rpm wax.95-2.96-1A.97-2.98-2.99-1A.100-1A.101-2.102-1
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と言うと、バックハウスとの伝説的映画があるのだが、思えば巨匠との組合せでの同曲のレコーディングがないのは、とても残念だ。ギーゼキングでベートーヴェンの協奏曲と言えば、1934年に英国グラモフォンでブルーノ・ワルターと共演をしたウィーンフィルとの「皇帝」が浮かぶのだが、御存知の通り、息の合わない迷演と言われたレコードとしても有名だ。しかし演奏スタイルが合わないのは当然だろう。ロマンチックな音楽姓のワルターが、新即物主義では新鋭と言わしめたギーゼキングの伴奏をするのだ。流石にそれは無理があろう。その評判に対してかは知らないが、若き日の巨匠での組み合わせが実現する。巨匠も新即物主義の新鋭と知られていた。しかし伝統に寄り添い自身のスタイルに調和させる器用な面も持ち合わせていた。収録年は、1939年である。さて針を下ろすとギーゼキングは、なんの迷いも無くサラサラと弾き始める。巨匠の伴奏もすっきりしており、ギーゼキングとも合っている。聴いても一目瞭然なのだが、これではワルターとは合わないのも解る。それは演奏スタイルが掛け離れているからだが、協奏曲は、常に対立があり、思想の違いがハッキリ出てしまう。そこでテンポ感なれば話し合いでも多少の妥協も出来るだろうが、思想となると正直難しいのではなかろうか?この演奏を聴いていると特にそれを思うのだ。第2楽章では、正に質実剛健な造型である巨匠の特徴が満開だが、ソリストに取ってはブレない安定感が在って安心ではないかとも思う。そこに安心したのか、ギーゼキングは、冷たいロマンシズムを演奏で表現している。この人にとっての浪漫派とは、とても冷めたものだと言うのが解る。当時の巨匠も多少ストイックな面も在ったので、やはりこの組み合わせは正解だと思う。終楽章もしっくりと行ってるが、終章ではオケもピアノも駆け出すので、そこを良い面の若さと見ても良いのかなとも思う。楽団は、まだザクセンと言われた頃のドレスデン・シュターツカペレだが、ガッシリとした精妙な響きは、やはり素晴らしく巨匠に於いても最も充実した時代だったのは予想がつく。尚、このレコードは、徐々に材質が悪くなってきた時期のものなので針音が多少目立つのが残念である。
追伸:当記事に於いて録音年代の間違いが指摘されましたので修正したします。
1935 ➡ 1939 既に修正済みです。失礼いたしました。

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