Toshiba-EMI EAC-40219 LP
巨匠と言えば、戦後のバイロイトでは音楽監督に近い地位に在り、実際、ワーグナー一族からの信用も絶大で在ったようだが、巨匠亡き後、ヴォルフガング・ワーグナーも他界した現在では、夏恒例の「バイロイト音楽祭」も何だか盛り上がらない。それは全盛を築いたヴィーンラントが、この世を去った後の後遺症でもある訳だが、未だに改善されないまま至っている印象がある。それでも改革は何度も繰り返されている。衝撃的だったのは、パトリス・シェローが演出した「ニーベルングの指環」であるとか、ゲオルグ・ショティが一度だけ出場したピーター・ホールの同演目での演出上の挑戦は在ったにせよ、「何か冴えない」感じがする。ワグネリアンなら人種問わずファンなら行きたい「バイロイト」だが、どうも近年は全く魅力がない。残念だったのは、当時最大のワーグナー指揮者との呼び声高い「ゲオルグ・ショルティ」が初回のみで降板した事で、幾ら演出で賛否が在ったにせよ、作品が指環だけに振り終えて欲しかった。幸いその時にエアチェックしたテープは在るので聴き直す事も出来るのだが、歌手は小粒だったものの音楽水準は高かったからである。然も、その後のバイロイトと言えば、レヴァインとバレンボイムの無限ループなので尚更だ。そんな感じなので今では興味もない音楽祭だ。此処も「ヒーロー不在なのかな?」とも思うが「残念」との言葉しか出ない。まあ、そんな愚痴ばかり嘆いていてもどうしようもないので本題に移るが、巨匠はドレスデン・シュターツカペレ(当時はザクセン)時代からもワーグナーは相当得意なレパートリーだったようで。自らも「ワグネリアン」と称している。然も在任中には「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第3幕を録音しているのだから尚更である。勿論、演奏も高水準だったが、序曲等の管絃楽曲も残している。此処で紹介するのは正にそれである。収録は、1939年である。当時の巨匠は45歳だった。最初にその「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕前奏曲なのだが、冒頭からリズムが軽く、キレも然程良くはないのは意外だ。しかし響きは暖かく、曲が進むにつれて巨匠本来の「質実剛健」な造型が浮かび上がるのは、やはり素晴らしいと思う。主部は特に良い。楽曲に対する愛情も感じられ「好きな曲なんだな?」と思ってしまう。当時で既に十八番だったのが窺い知れる演奏だ。終止部は熱い情熱を感じる。「さまよえるオランダ人」序曲もある。此方の冒頭も控えめだ。だがバランス感覚と言おうか、聴いていても過不足感はない。これも安定感のある演奏で好感が持てた。だがバイロイトの実演と比べるのは筋違いだろう。勢いと言う点では「ローエングリン」から第3幕の前奏曲も収録されているので興味深い。リズムの弾みを聴いていると嘗て巨匠が修行時代にカール・ムックから「君は、ワーグナーもポルカのように指揮をする。」と言われた逸話を思い出す。「タンホイザー」序曲もある。冒頭の何の飾りのない表現は、とても素朴で好感が持てる。此処で巨匠の構成的な解釈を知るには絶好の曲である。じっくりと踏み締める感じが実に良いのだが、あまり力まずに進むので、とても透明感がある。アレグロの部分は流石に熱っぽい。特に「ヴェーヌスベルク賛歌」の箇所に至っては情熱の嵐である。此処まで来るとすっかり聴き惚れてしまう。時折テンポの上がる箇所もあるのだが、自身の解釈が入り込む処と、それを許さない箇所の区別は明確なのも巨匠らしいと思う。そこに新即物主義を自分なりに消化した巨匠ならではの音楽観がある。この演奏もとても充実しているので、肝心の全曲録音が、ドイツやウィーン等の主要な歌劇場で残されていないのが本当に残念である。だから「ウィンドガッセンとニルソンの組み合わせで聴けたら最高なのに」と夢のような事を遂思ってしまう。

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