Polydor Japsn 28MG0006(2531 294) LP
ブラームスのピアノ協奏曲第1番である。収録年は、1979年と巨匠自身も晩年の再録だが、意外と印象が薄く、「嗚呼、そう言えば在ったな?」程度のレコードである。旧盤は、英・DECCAでのもので、鍵盤の獅子王ことウィルヘルム・バックハウスとの協演だったが、頑固爺さん同士(同志)の演奏で全体の響きも暗いものだったが、その堅物な感じが如何にもブラームスで、人によっては旧盤に采配を上げるだろう。しかし同曲のステレオ盤は、巨匠には、これしか無いので、歴史的録音に関心の無い方ならば絶好のレコードと言える。だが、このレコードも現在では、歴史的音源の部類に足を突っ込んでいる事も否定は出来ないだろう。ピアノは、マウリツィオ・ポリーニである。さて演奏だが、嵐の様な冒頭主題は、全てを巻き込む位の勢いが在るが、旧盤と比べて客観性も増しており、それが楽曲の空間性を広げていると思う。なので当然奥行きもある表現になっている。だが壮大さが増した分、緊張度が薄れているのは致し方あるまい。その代わり、旧盤での息苦しさは後退しているので聴きやすい人も居るだろう。だが「腐っても鯛」で、巨匠特有の質実剛健な造型は健在であり、男性的なブラームスであるのは「やはり」と納得するものがある。それは、ポリーニのピアノも同様で、作品そのものを見つめ、本質に迫る点は評価出来るものの解釈は理性的で在り、とても合理的な解釈だと思う。第1楽章で聴かれるポリーニはエレガントでさえある。つまり、その点に共通点が在る事で、作品に向ける集中力は、依り深いものに成っている。その為か意外な相乗効果を示している。巨匠の伴奏も時に突き刺さるようなフォルテは、とても効果的で思わず「おおっ!」と驚嘆する程凄まじい。ポリーニも巨匠の伴奏に張り合っており、その積極的な演奏の姿勢には感心するものがある。第2楽章の慈愛に満ちた弦の音色が素晴らしいのは、この頃のウィーン・フィルの特色だと思うが、所謂ウィーン風も時代と共に変化があるものだと改めて思う。さてポリーニだが、此処では余り特色が感じられないのが残念である。もう少し、ピアノのタッチに明確なものが在っても良いと思う。つまり表現が甘いのだ。特に弱音部が弱く感じられる。それに対し終楽章の鋭く迫るピアノの音色は目が覚める程だが、巨匠の指揮もキビキビとしておりピアノを包み込む勢いが物凄い。此処では負けずと張り合うポリーニが頑張って主張を音で通そうとしている処が聴きものである。それとこれは、全曲を聴き通して思った事だが、弱音部分での表現が不明瞭なのは、この頃のポリーニの迷いだろうか?この作品は、ピアノ付き交響曲とも揶揄されるが、巨匠の壮大なスケール豊かな伴奏は、堂々としており曲の締め括りも見事である。久々に聴き直したが、正に王道のブラームスが此処に存在していた。

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