Grammophon-Deutcshe 2940 208 3LP
これは、モーツァルト最後の歌劇とされるものだが、あの「魔笛」に比べて知名度が低いだけではなく、初演当時には駄作とまで酷評をされているので印象もいまひとつで題名すら浮かばない人も居る事だろう?そんな歌劇である。題材とされた皇帝ティートだが、この人物は、ユダヤ戦争を指揮してエルサレムを鎮圧した事でも知られる。しかしその後に古代ローマの町ポンペイが大噴火で埋まった時の皇帝でもあった。その為災害復旧に尽力をし、激務が元で早死にしてしまった。と言う事で大変慈悲深い皇帝として知られているのだが、この歌劇の内容は、それとは関係がない。尚、ポンペイは1739年に発掘され一大センセーションを巻き起こした。現在でも災害遺跡として知られているが、モーツァルト自身は、父に連れられてポンペイ遺跡を見ており、この体験がネタ元だと察する面もあるが、その件については何とも言えない。原作は、ピエトロ・メタスタージョと言うイタリアの詩人で。歌劇の台本作家である。さて話の内容は、権力争いが元の陰謀劇に恋愛を絡めた複雑なものだが、ザクセン選帝侯国の宮廷詩人カテリーノ・マッツォーラが、歌劇に適応するように改作をした為に話の流れが良くなった代償として、立体感に乏しい作品になったとされる。しかしそれは敢えて単純明快にする事で歌劇として成り立ったとも言える。初演は1791年9月6日にプラハ国立歌劇場によって行われている。さてそのような作品となれば、構成が明確な演奏で聴きたいものだ。その点では巨匠のこのレコードは理に適っている。収録は、1977年1月6−24、3月19−20日にドレスデンのルカ教会で行われており、古巣のドレスデン国立管弦楽団を振っている。合唱は、ライプツィヒ放送合唱団である。配役は主役の皇帝ティートをペーター・シュライアーが歌い、先帝の皇女、ヴィテッリアをユリア・ヴァラティ、セストの妹セルヴィーリアをエディット・マチス、セスト本人は、テレサ・ベルガンサ、そしてその友人アントニオをマルガ・シム、そして親衛隊長官ブブリオは、テオ・アーダムである。録音当時の巨匠は84歳だった。この歌劇の形式がオペラ・セリアのせいか常に簡素で飾らず、質実剛健な巨匠の演奏様式が活きてくる。序曲は冒頭から快適に進み、途中の木管の表情には心が和む。まだこの頃の巨匠は元気だった。時にズンと入る重量感も相当なものだが、とても立体感のある機知に富んだ演奏は先を期待させる。タイトルロールは、ユリア・ヴァラティだが、自然に作品に引き込まれる流れの良さがある。そのまま二重唱を経てアリアまでも聴かせるのだが、セルヴィーリアのエディット・マチスも見事だ。その声質は調和しており、何の違和感もなく聴かせる。常に伴奏がものを言うのも巨匠ならではである。ファンファーレから始まる行進曲のスケールも大きいが、優しい色彩感もあり、とても楽しい。続く合唱の清楚な簡潔感も良い。それしても皇帝ティートのシュライアーの張りのある美声は気品もあり、正に皇帝だ。アーダムの親衛隊長官は正義感に溢れた英雄的な歌唱を聴かせる。第一幕フィナーレの緊迫感も沸々と鬼気迫る。第二幕はサラリと始まる。だがマルガ・シムとテレサ・ベルガンサのレシタティーヴォから重みを感じる。つまり全てが有機的に進んでいると言う事だ。此処でテレサ・ベルガンサをゆっくりと聴く事になるのだが、彼女の声には独特の風格があり、セストの人間性を垣間見せてくれる。演奏が充実しているせいか、特にどうのと言う事もないので後は気がついた点だけ述べるが、それはこの歌劇に関しては録音自体が少なく、比較の対象がないのもその要因だ。しかしながら同曲のスタンダードとしては充分に通用するレコードだと思う。巨匠はモーツァルトの歌劇に対して歌手の歌い崩しを認めない事でも知られているので、皇帝ティートが裏切りに気づいた時の歌唱表現にも破綻はないが、それを物足りなく思うかは聴き手の判断だろう。だが心理描写については伴奏が、それに勝っているので私見では良いと思う。それは最後に慈悲を見せる場面でも同様の事が言えるだろう。堂々とした終始部は巨匠の面目たるものだ。
2010/02/04 より補足

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