Fonotana FG-9 LP
ウィーン交響楽団との第九である。収録は、1957年で、然も擬似ステレオ盤である。公式の録音としては2度目に辺る。演奏の印象としては全体に凝縮された感じでスケールは然程大きくは無い。その代わりに内容は濃い。それもあるのか響きは擬似ステレオ化された為に不自然である。独唱者は、テレサ・シュティツヒ=ランダル(S)、アントン・デルモータ(T)、ヒルデガルト・レッセル=マイダン(A).パウル・シェフラー(B)で、合唱は、ウィーン国立歌劇場合唱団が受け持っている。第1楽章は重量級である。楽曲に対し、真摯な演奏だが、少し力み過ぎでは無かろうか?いざと言う時にスムーズに進まない感じでだ。男性的でゴツゴツした響きと言ってしまえば、その通りだろうが、巨匠の厳格さが裏目に出ている様だ。だから第2楽章のティンパニーのリズムも正確では在るが、もっと弾んでいても良いだろう?だが有機的なオケの響きは、ベートーヴェンを聴くには不自由しない。これは好き嫌いが分かれる演奏だ。しかしホルンのピッチは、やや怪しい。第3楽章は、ドイツ的な演奏の一言に尽きる。しかし音色は暗く重過ぎる。安定した演奏と言うべきだろうか?終楽章である。冒頭は巨匠らしく流石に立派だ。バリトンの入り迄の序奏部は、フルトヴェングラー程、神妙では無く確実で真面目な印象である。パウル・シェフラーの歌う「O Freunde」の入りも確実である。これも例外では無いが過度と言うものが無いのが巨匠らしい。終楽章には全盤共通の特色が在る。それは最初の合唱が終わってから始まるマーチが遅い事である。ある批評家は晩年の同曲を聴いて力尽きた等と誤解しているが、全盤所有の方が居られたら是非比較されると良い。この箇所のテンポが落ちるのは巨匠の解釈である。そして最後は、巨匠らしく確実に曲を締め括る。最近は、こんなドイツ的な第九も遂ぞ聴かれなくなった。演奏上の欠点も在るが終わってみると、そんな事は御破算になってしまった。不思議なものである。尚、金管の強奏が処々に聴かれるのは、この頃の巨匠の特色である。
とまあ、これが、2010年2月10日に最初に書いた文章だが、句読点等に問題があったので補足の上、改正している。此処で再更新をしたのは、後から入手したレコードとの比較にある。本来なれば、そんな事位で更新をする事もないのだが、聴いた印象も変われば当然、演奏の感想にも変化がある。実はフォンタナ・レーベルの廉価盤では、黄色いジャケットに縦書きの日本語のものもあり、それはモノラルでカッティングされているので、オリジナルの音質を尊重する人なら、それこそ条件も良いのだろうが、小生の場合は、そのデザインが嫌いだったので買おうとは思わなかった。その前のジャケット・デザインも品素だった。演奏が良ければデザインなんか別にいいんじゃない?なんて声もあろうが、目を引いても、そのデザインに違和感があれば、購入する人が馬鹿にされているようで、あまり良い気分はしないものである。巨匠の初期のCDジャケットのデザインも酷かった。どうもクラシック音楽のレコードは、デザイナーには恵まれないようだ。(そもそもデザイナーなんて居るのか?)さてこれは後から同じ趣味の友人が出掛けたおりに「こんなのがあったよ」と買って来たレコードなのだが、一見、そのデザインには先に挙げているものと変わりがないのだが、ジャケットの上に日本語でタイトルも補足している。更に商品番号も同様なので音も同じかと思ったのだが違った。前者のものは、これに比べると音色が曇りがちだが、こちらは明るく明快だ。それで原盤番号をルーペで拡大してみると、やはり違った。そこにレコードを趣味に持つと奥深いものだと関心をするのだが、値段から察するにこちらが疑似ステレオ盤としては最初に発売されたもののようだ。一見同じダブル・ジャケットだが、解説は2ページ多い。「だからなんだ?」と言う人も居るかも知れないが、そう言う事もある。
Epic NLC 9009 LP
それでこれなのだが、一応はオリジナルに近いとされる日本での初盤がこのレコードだ。と言うのも、小生は曲自体の長さもあり、もしやオリジナルは2枚組ではなかろうか?とは思っていたのだが、そんなレコードには御目に掛かった事はない。それとオリジナルのオランダ盤とジャケット・デザインが共通しているのもこのレコードだけなのだ。然もまだエピック・レーベルだ。レコード自体も厚手なので尚更だが、これぞモノラル盤ならではの安定した再生音が素晴らしい。もちろん解像度も疑似ステレオと比べる事自体がナンセンスだろう。だから演奏の細かい表情まで聴こえる。それで改めて聴き直してみると確かに質実剛健なのは変わりはないのだが、ドレスデンでの78回転盤とは音楽の見通しが随分と良くなっている。進行もストレートだ。しかし演奏の感想が極端に変わる訳でもない。だが一層個性は鮮明に演奏に聴く事が出来る。それこそレスポンスだが、とても引き締まった音楽が目の前で鳴っており、そのリアリティーが良い。なのに重量級なのだ。そこに当時の巨匠の若さも感じる。この辺の演奏の表情は疑似ステレオ盤では聴き取れなかった。それもあるのか最初に紹介した盤では不安定に感じたホルンのピッチの甘さも音質が引き締まっているので、幾らかだが気にならず、ウィンナホルンなのが聴き取れる。だから第2楽章のティンパニーのリズムも同じ事が言え、より推進力が増してくる。そう印象が変わるのも、疑似ステレオ方式では特有の余計な残響を付加があるのが原因なのも明白だが、それでも下手なデジタル・リマスターのCDよりは臨場感があるのだから不思議なものだ。しかしながらCD化によって悪くなったアナログ・マスターからの歴史的録音も割とあるので技術者は、各種のリダクションやエフェクターに頼り過ぎずに自身の耳に自信を持ってほしいと思う。話は戻るが疑似ステレオ盤で感じた妙なバランスもこのレコードにはない。
2010.02.10 より補足

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