Poldor Japan MG 2460 (2530 456) LP
久々に引っ張り出して聴いた、このレコードなのだが、ライナーノートを、あの吉田秀和さんが書いている事に「まづ注目」てなものか?その曲は、W.A・モーツァルトの2台のピアノの為の協奏曲 変ホ長調K.365 (316a)なのだが、吉田さんは、それよりもB面に収録されている第27番変ロ長調.K.595の方に興味があるようで、その文章の殆どを、それに費やしている。だからK.365については、引用すると「もう一曲、ギレリスが彼の娘さんと共演しているK.365の2台のピアノの協奏曲の演奏では、父娘であるだけに、2人の呼吸の合い方は申し分ない。技術的にも、音楽的にも、すきがないというだけでなく、音楽のつくり方までが同じなのだ」。と当たり障りのない評価をしている。これは日頃厳しい吉田さんらしくはない。だから改めて、こちらの耳ではどう聴こえるかが気になったと言う訳だ。此処で余談だが、ピアニストのエミール・ギレリス氏の風貌を見て、「どこかで見た覚えがあるな?」と思ったら、米国の映画俳優のジャッキー・クーパー氏に感じが似ている。あのクリストファー・リーヴの「スーパーマン」で、デイリー・プラネット社の編集長を演じた俳優だ。「だからなんだ?」と言うかも知れないが、建築商社の部長さんとか、どこかの工務店の親父みたいな印象も受ける。好き勝手な事ばかりを書いているが、それだけに、ある種の親しみやすさがあるのだ。だから何となく、そんな先入観で演奏を聴きがちだ。しかし実際に鳴り響くピアノの音は技巧的にも精度の高いものだ。なので小生としては、K.365の方が興味があるのだ。先に収録年と会場を紹介しておくと、1973年9月19〜21日の間にウィーンのムジークフェラインザールで録音されたものだ。勿論、楽団はウィーンフィルで、指揮は巨匠(カール・ベーム)だ。その第1ピアノを父のエミール・ギレリス氏が受け持っているのか、娘のエレーナ・ギレリスさんが受け持っているのかは表記はないが、それを踏まえて聴いてみる事にしよう。第1楽章は、アレグロ4分の4拍子である。序奏では流石にウィーンフィルの優雅さに耳が止まる。そして快適だが、その音色は正にモーツァルトである。第1ピアノは力強い。球が転がるような様相があるが、もう少し主張があっても良い感じがする。しかし流麗な演奏だ。タッチもそれなりだが、第2ピアノが土台をしっかり支えているので、もしや第2ピアノの方が父のエミール氏のような気がする。此処ぞと言う時に入って来る。そんなタイミングだ。「やはりその辺が親子なのかな?」と思うが息が絶妙に合っている。巨匠のビクともしない安定感も素晴らしい。続く第2楽章は、アンダンテ変ロ長調、4分の3拍子だが、何故楽章毎の説明をするかと言うと、巨匠の演奏はスコアリーディングをしながら聴くと、その通りに演奏をしているのが解るからだ。本当にそのテンポ通りにやってくれる。それにしても優雅だ。だがほの暗い陰影が浮かぶのもモーツァルトで、そこが魅力でもある。この楽章での第1ピアノは初めの楽章よりは主張が強い感じがする。自信に満ちたとした表現の方が適切かも知れない。第2ピアノのサポートも良い。さて第3楽章 ロンドー、アレグロ4分の2拍子である。とても活発なアレグロだが、巨匠の伴奏もこの曲の集大成てな感があり、そうテンポも煽っている訳でもないが活気がある。この楽章では第1、第2ピアノ共に主張が強い。なので時に枠をはみ出すのだが、なんだが競って演奏をしているようで、それはそれで面白い。要所を締める巨匠の加減がちょうど良く、ピアノを引き立てている。次は、K595変ロ長調。即ち第27番である。これは御存知の通り、モーツァルトの「白鳥の歌」である。この曲と言えば、ステレオ初期の名盤で、鍵盤の獅子王とさえ言われたウィルヘルム・バックハウスとの天界へ昇ったような演奏のレコードがあるが、それを「エミール・ギレリスが弾くとどうなのか?」と発売当時は注目だったし、小生もそんな聴き方をしたのが懐かしい。それこそ若き日だが、その時は定年だの年金も、まるで他人事だったので余計にそう感じるのだろう。歳は取るものだ。だからその時代に買ったレコードをblogの為に引っ張り出して聴くと、何となくノスタルジックな気持ちになるものだ。巨匠もその時代に来日しているので尚更記憶に残るのだろう。さていらん講釈はそれまでとして本題に移るが、第1楽章は、アレグロ 変ロ長調 4分の4拍子。古典派の協奏ソナタ形式である。最初の1小節の伴奏は、とても音が立っており、先行きを期待させる。しかし巨匠は別に特別な事をしていない。此処でもウィーンフィルの音色に心惹かれる。風格も素晴らしい。此処でピアノが入る。やはり丸い音でモーツァルトそのものだ。表情が細かく表現が豊かなのも良い。この辺にエミール・ギレリスの長所が聴かれる。全体に素朴で無駄なものがないにも関わらず、充実感がある。巨匠のサポートも壺を得ている。そして注目の第2楽章である。ラルゲット 変ホ長調 2分の2拍子で三部形式で書かれている。天衣無縫で静謐な美しさがある。これも「無駄なものを取っ払っても核になのものはちゃんと残るんだよ」。と言いたい位の演奏だ。「これが無我の境地なのかな?」と思う。この楽章は弱音と強音の繋がりが良いピアニストじゃないと表現が出来ないだろう。エミールはそれをやっている。余計な批評を抜きに聴いていると、ある種の恍惚感が味わえる。天上の音楽とは、その事か?第3楽章は、アレグロ 変ロ長調 8分の6拍子 ロンド形式である。あの歌曲K.596「春への憧れ」にある同じ旋律を効いていると、何とものんびりした気分になる。楽章としては終楽章だが、此方も素朴の極意である。協奏曲でも質実剛健で構成の万全な巨匠の特色は、このレコードでも味わえる。説得力も、この伴奏あってこそである。ウィーンフィルも現在のそれとは別の楽団のように聴こえる。

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