Toshiba EMI EAC-40212 LP
これは、巨匠の1936年収録のブルックナーだが、当時に於いては、この様な大曲の録音は稀であり、その点では、歴史的価値の在るものだが、演奏については賛否も在るレコードでも在る。その発端と成ったのは、音楽批評家.宇野功芳さんの「これは、ブルックナーの干し物の様だ」と言う批判の為である。だからそれを知る音楽ファンは、どうしても固定概念から離れず聴く人も居るだろう。実は、このレコードの試聴記は、昨年初頭にもしているのだが、最近に成って、本当にそうなのか?と疑問に思ったので、また聴いてみようと引っ張り出した次第だ。針を降ろすとブルックナー特有の弦のトレモロが聴こえるが、深さよりも明瞭さを狙っており、所謂、大自然の鼓動とは些か違う印象を受ける。演奏のスケールも小さいが、楽団の機能性は生かされており、アンサンブルに危惧する事無く聴く事が出来る。テンポも幾分早目である。それと根底に在る造型が質実剛健なので決して揺らぐ事の無く安定しているのが好ましい。各動機の扱いもキッパリと明瞭に処理してる為に楽章全体の見通しも良く、スコアを読みながら聴くには絶好の演奏と言える。宇野さんの批評では、表情が余りにも抑正している事に不満を述べているが、作品を湾曲していないので、聴く者に余計なイメージが付く事無く、楽曲を伝えている様に思える。なんと言ってもザクセン・シュターツカペレ(現.ドレスデン)の時代を超えた機能性には魅力が在る。第2楽章も解釈上の違いは無いが、感傷的に成らなくとも各主題の役割は充分に示しており、変に叙情的に溺れる事無く進行して行く様は立派である。たぶん宇野さんが物足りなく感じたのは、そんな処だと推察出来る。その頃の宇野さんは、余程、浪漫的な演奏にどっぷり浸かっていたのだろうか?日頃、ブルックナーに対し過剰な人間感情を嫌う批評家にしては意外な反応だ。何故なら幾ら新即物主義の洗礼を受けた巨匠の若き日のレコードとは言え、その演奏スタイルは、無味乾燥に成る事無く消化している様に思えるからである。聴いていて、「これも在りかも?」と言うレベルである。第3楽章は、勇猛果敢な楽曲だが、推進力が後年の演奏と比べ、躍動的なので、それなりの表現に成っていて特に不満は感じない。聴いていて、成る程、新即物主義の影響を受けた人の演奏だと思う程度である。トリオとの対比も取れている。終楽章の表現についても何変わりは無いが、ここも浪漫的な解釈で無いのが結局、作品を歪めず進行しているので返って好ましい位である。寧ろ表情が過度に成らない点を評価すべきだろう!ここでも楽団の機能美が光るが、必要不可欠なアンサンブルなので、楽曲を描くのには丁度良い。フィナーレも程好く纏まる。復刻の状態も良好である。

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