DGG 136 001 SLPEM LP
此処で曰くつきとしているのは理由が在る。それと言うのもSF映画の名作「2001年宇宙の旅」を語る上では絶対欠かせないレコードであり、演奏なのである。結論から先に申せば、この演奏は「2001年宇宙の旅」では全く使用されていない。だから曰くつきなのである。古い映画ファンや音楽ファンには充分御存知の事と思うが、かなり暫くの間、この演奏が「2001年宇宙の旅」で使用されたものだと思い込まされていた。何故そんな事が起きたのだろう?これは一種の刷り込みである。実際古いサントラ盤に収録されているのも、この演奏だ。だが聴いての通り、オケのピッチも違うし、音響バランスも全然違うのだ。それなのに何故、かなり聴き込んでいる筈の音楽ファンまで騙されたのだろう?実は「2001年宇宙の旅」に使われる曲は、監督であるスタンリー・キューブリックが以前の作品で関わりの在ったアレックス・ノースと言う作曲家に曲を依頼していた。だが出来上がった曲は、どうもキューブリックのイメージに合わない。それで本人の承諾も無く却下した事案が在った。然もそれで訴訟騒ぎになった。此処でキューブリックの人間性さえ疑うが、得てして完全主義者なるものは、そんなものなのであろう。さてサントラ盤に収録されているのは巨匠の演奏だ。つまりサントラ盤を信用した結果が刷り込みと化した訳である。理由は単純だが、音楽ファンまで騙された。だがそれには更に推測出来る理由も在る。実際に映画で使われた演奏は、カラヤンが指揮する1959年に英.DECCAで録音されたものである。私がそれに気がついたのは、クレメンス・クラウスが、やはりDECCAに録音した演奏を聴いた時の事だ。一聴して即座に解るのはピッチの相違点だ。そこで「あれっ?2001年で使われていたのはウィーンフィルの演奏じゃないの?」と言う事となり、映画の公開が1968年なれば、その頃までにウィーンフィルで録音された同曲は「カラヤン盤だったんじゃないの?」と思うようになり、「実際に聴いてみたらそうだった。」てなオチである。それは迂闊だった。そこでまたもや推測だが、サントラ盤はポリドールである。それに対し映画で使われたのはDECCAのものだったので、当時、ライバル会社だった音源をサントラ盤の制作とは言え、使うのは現実的ではない。それで系列の独.DGGの巨匠の演奏になったのではと思った方が当たり前の法則だろう。更におまけだが、キューブックからの使用申請に対しDECCAの経営陣が指揮者・演奏団体を表記しない事を条件にした為に映画が成功し競合他社も争うようにこの曲のレコードを発売してDECCAは大変な損失を被ったと言う事だ。カラヤンもDECCAと製作会社MGMの告訴を検討していた。あの名作は裏では訴訟騒ぎばかりなのである。此処で更にややこしい話をひとつ。実は初公開時の70ミリ版のエンディング・タイトルには、巨匠の名前の表記が在る。これはMGMの方針かもしれないが、実はあの映画の音楽音源は殆どが独.DGGのものなのだ。だがツァラトゥストラだけは違う。「誰が悪いの?」此処までが前置きだ。
此処から演奏について述べるが、流石にしんどいので要約だけにしよう。と言うのも私が今更何かを述べても何も始まらない程の名盤だからである。導入部からして禁欲的と言おうか、カラヤン盤を聴いた後では地味な印象も感じるだろうが、響きが変に肥大していないので楽曲の持つプロポーションが崩れず聴ける利点も在る。確かに巨匠の演奏を聴いていると曲のモティーフが「ニーチェ」何だなと納得出来るものがあるのだ。だからVon den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)でもキリスト教者の信仰心とか慈愛に満ちた想いが何の無理なく伝わるのだ。Von der großen sehnsucht(大いなる憧れについて)からVon den Freuden und Leidenschaften(喜びと情熱について)に掛けてもそうだ。この辺は流石に巨匠の若さが発露する情熱溢れる演奏になっている。何せ録音当時の1958年は63歳なのだ。Von der Wissenschaft(学問について)の思想的な深い表情も良い。音で哲学を充分表現している。Der Genesende(病より癒え行く者)も、その延長だ。嵐のような懈怠の動機と自然の動機の交差は中々凄い迫力である。パウゼの後の経過句を経て各主題が交差する諧謔的な部分も引締まった表現だ。この時代の巨匠の特色である金管の強奏も曲の特性に合っている。Das Tanzlied(舞踏の歌)の憂いに満ちた表現も素晴らしい。リズムも弾んでおり、弦楽器群のしなやかな艶の在る音色には本当に魅了される。シュヴァルベの独奏も美しい。展開部からクライマックスに掛けても壮麗で圧倒的であるNachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)での精神的な安らぎも澄み切っており、とても癒される。前年に録音したドレスデン・シュターツカペレでの「英雄の生涯」では同じ演奏スタイルなのに息苦しかったが、此処では暖かみまで感じる。巨匠の心境に何か変化でも在ったのだろうか?今更だが、これはステレオ初期のベルリンフィルの名盤としても良いだろう。

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