Polydor Japan MG 2080 LP
ベートーヴェンの「第7」で巨匠を聴くキッカケとなった人も居るだろうが、確かに晩年の巨匠から馴染んだファンには思い入れの深い曲である。最後の人見記念講堂の伝説的な演奏も同曲だったので尚更である。しかしレコードで聴くとなると、その感動に及ばないのが残念である。現在では繰り返し聴く事で随分見識を改めたが、例のウィーンフィルとの全集の演奏とて実演の感動には全く及ばず残念な思いをした人も多々居る筈だ。だが正当なドイツ音楽と言える演奏スタイルでベートーヴェンが中々聴けない近年に於いて「ベートーヴェンらしさとは何か?」と自問自答を繰り返すのも余りにも演奏スタイルが巨匠の時代とは掛け離れているのも事実で古楽器による演奏を聴いていると近代オーケストラの部厚くシンフォニックな響きは、とても懐かしく感じられる。だからと言って、いつまでも過去を振り返ってばかりいても何の発展も無いのだが正直難しいものである。巨匠の「第七」も後にCD化されたものも在るので、それらを聴き直すのも面白いが、まづは巨匠存命時の正規録音を聴くのは順序であろう。幸い全盛期の1958年にベルリンフィルと録音されたレコードが在る。当時の巨匠は63歳だった。それが是だが、マイクのバランスがステレオ初期の慣例か弦主体で金管やテインパニーが遠いので上品では在るが巨匠の音楽の印象とはやや異なるのは仕方在るまい。だが聴いていると流石にこの時代の巨匠は違うと納得する。だから実演では「ドカン」と始まる序奏部冒頭のフォルテもふわりと柔らかい。ホルンも良い味を出している。そこに何とも言えない暖かささえ感じるのだが、これも録音バランスが関係してるのかも知れない。因みに実演で聴くとフォルテシモに聴こえる冒頭は実はフォルテなのである。導入部は落ち着いたテンポで安心して聴ける。それにしても相性が良いのかベルリンフィルと一心同体に突き進む。主部も快調で有機的な響きが素晴らしい。曲が進むとどんどん気が晴れて行くのも良いものだ。ベルリンフィルのドイツ的な一面もこの時代なれば一層鮮明である。聴いていると「何でこの組み合わせでベートーヴェンの全集が出来なかったか?」と思う程である。これは後から解った事だが、巨匠がウィーンフィルでベートーヴェンの交響曲全集を完成させた時にベルリンフィルの団員が残念がったと言う逸話が在る。アレグレットの流れも何の飾りも無く素朴なのに心に迫って来る。悲壮美はウィーンフィルとの再録盤が勝るが、この演奏も忘れられないものだ。スケルツォもどっしりとしたものだが流石に切れが良く若さを感じる。そして意外と静的な佇まいを感じるが、リズムも弾み快適である。トリオも絶妙なバランスで言う事無しだ。間の木管が実に素朴である。フィナーレは、頂点に向かって走る楽章だが意外と落ち着いており、徐々に熱が帯びて行く感じだ。此処でもベルリンフィルの美音が香る。貴族的なんて表現は野暮だが正にそんな感じなのだ。勿論リズムの切れも其の儘だが、気がつくとどんどん凄くなって行く。そして終章は熱狂の渦の中で終わる。
2010.2.9 の記事からの改定

1