8日の日曜日にまちそだての会の仲間で近江八幡の研修旅行に行った。前日までの不安定な天気とはうって変わって、好天に恵まれた。総勢8名。行動するにはベストの人数だ。まずは、名古屋高速から名神高速へ乗り継ぎ、一路近江八幡へ。2時間弱で到着。中心部の小幡観光駐車場に車を停め、まちをぶらぶら歩き始める。
まずは、明治10年近江商人の寄付によって創建された小学校のあとで、現在、観光案内所になっている「白雲館」に行き、観光パスポートを入手(1000円)。八幡堀を渡って、「日牟礼八幡宮」に詣でる。ここでツルちゃんがおみくじを引くが、凶。なんでもこのところおみくじを引くと凶ばかりでがっくりしている。八幡堀の堀端を歩き、11時に予約してあった「ヴォーリズ記念館」へ行く。
ウイリアム・メレル・ヴォーリズ(日本に帰化し、一柳米来留[ひとつやなぎめれる]を名乗る)は、キリスト教プロテスタントの伝道師であり、「メンソレータム」(現在は、アメリカのメンソレータム社の持つ商標権・販売権は別会社に移り、【メンターム】という商標を使用している)の近江兄弟社を創設した事業家でもある。学校や病院を作った社会事業家でもあり、教育・医療・福祉に多大な貢献をした。また建築家としても幅広く活躍し、数多くの名建築を残した。同志社大アーモスト館・関西学院・神戸女学院などの学校建築、東京駿河台山の上ホテル、大阪心斎橋大丸デパートなども手がけている。
ヴォーリズ記念館は、ヴォーリスの居館跡だが、質素で、こぢんまりした洋館である。しかし、細部に様々な心配りがされていて、ヴォーリズの建築への思いが伝わってくる。ヴォーリズは「建築物の品格は、人間の人格のように、その外観よりもむしろその内容である」と考え、機能性と自然を愛するナチュラリストらしい住まいを設計している。
ヴォーリズの生涯をまとめたビデオを見て、係りの女性の説明を聞きながら、ヴォーリズへの思いをいっそう募らせながら、記念館を後にした。
その後、ヴォーリズの設計した旧八幡郵便局を、NPO「一粒の会」のボランティアの方の案内で2階や裏庭もじっくりと見させていただいた。さて、昼食をということになったが、どこも満員。近江牛のステーキで有名な「西川」でコロッケを買い店の前でほおばる。おいしい。日牟礼八幡の参道で団子も食べ、しばらくは大丈夫だ。
先に八幡山城址へ上ろうとロープウェイへ行くが長蛇の列。我慢して列び、頂上へ。比叡山から比良山系の山々、広大な琵琶湖の景観に見とれる。反対側に周り、安土山や西の湖の水郷を眺める。こちらも絶景。八幡城主で八幡の城下町を作った豊臣秀次を祀る瑞龍寺へ。ここで、ツルちゃん、おみくじに再チャレンジ。やっと「吉」が出て、皆も一安心。いいことがありそう。
ロープウェイで下に降り、さて食事と思ったが、まだ、名の知れた店は満員状態。和菓子の「たねや」でおみやげを買い、通りで見つけた定食食堂に飛び込む。安い、何でもある。牛丼、湯豆腐、麻婆丼、天丼、ざるうどん、と好きなものを注文し、一件落着。
八幡堀を散策していると、「浜ぐら」という土蔵を改造した喫茶店があり、飛び込む。いい雰囲気だ。畳などを貯蔵した大きな倉庫の跡だ。主婦たちが共同で店を始めて20数年になるという。こういう活用の仕方は素晴らしい。
その後、新町の麩の老舗などを覗きながら、重要文化財の「旧西川家住宅」「歴史民俗資料館」の見学へ。近江商人の財力と文化へのこだわりを実感させられた。特に、伴荘右衛門邸の豪壮さには目を瞠った。畳のマニュファクチュア経営をした工場の址というが、巨大な梁には圧倒された。また3階の45畳敷きの大広間には、「蒲生郡古人遺墨張交屏風」が展示されており、幕末・明治期のこの地域の人々の教養や文化の高さを垣間見ることができた。
近江八幡は、何度でも足を運びたくなる自然と歴史と文化に溢れた懐かしい思い出の場所である。

八幡堀白雲橋の上で。背後に白壁の土蔵。

日牟礼八幡宮総門。

八幡堀と屋形船。

ヴォーリズ記念館の前で。

ヴォーリズ記念館の中、広間。

ヴォーリズの設計した旧八幡郵便局。

八幡山城西の丸から琵琶湖を望んで記念写真。

八幡山城北の丸から安土山を望む。眼下には西の湖と水郷。

ロープウェーから八幡のまちを望む。

八幡堀沿いに建つ土蔵を利用した茶寮「浜ぐら」

「浜ぐら」の風情ある梁の様子。

重要文化財旧西川家前の「見越しの松」を背景に。

重要文化財旧西川家の庭園。

旧伴荘右衛門邸3階の広間。「蒲生郡古人遺墨張交屏風」を鑑賞する。

旧伴荘右衛門邸の外観。

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