tumaが 約7ヶ月間、 ○ンとの闘いで入院治療していた時、バラの本だけでなく、
いろいろな本を読んでいた中に、こんな本がありましたので、ちょっぴり ご紹介
させていただきますね♪
「東京タワー オカン と ボクと、時々、オトン」
才人 リリー・フランキーが亡き母への思いを中心に、親と子、社会と個人、時代
によって変わるものと変わらぬものの姿を、真っ正直に綴った自伝小説です。
ご存じの通り、2005年6月に出版されるや、「全国書店員が選んだいちばん!売
りたい本 2006年本屋大賞」を受賞。200万部を超えるベストセラーとなった作品。
序章に出てくる作者からの紹介の言葉
「この話は、東京に弾き飛ばされ故郷に戻っていったオトンと、同じようにやって
きて帰るところを失ってしまったボクと、そして一度もそんな幻想を抱いたことも
なかったのに、東京に連れてこられて戻ることも帰ることもできず、東京タワーの
麓で眠りについた、ボクの母親の、ちいさな話です。」
・・・・・・ 途中省略
やっとオカンに心配かけずにやっていける・・・・・と思った矢先、ブーブおばさん
から電話で「あんたのオカン、ガンの手術で入院しとるんよ」と聞かされた。
オカンの手術は一応成功したが、完治はしなかった。残ったガン細胞を投薬で
抑え続けていくしかない。それでもオカンはまだあの寂れた田舎町で、働くつも
りでいた。「東京に来たらいいやん」、「ほんとに行ってええんかね」
遠慮するオカンをボクは東京に呼び寄せた。15の歳でオカンの元を離れてから
15年、ボクとオカンは東京の雑居ビルで、また2人で暮らすことになった。
オカンは代々受け継ぐ糠床を大事に持ってきた。昔のように、オカンのご飯を食
べる毎日。やがてボクの彼女や友人、仕事仲間など、いろんな人たちがオカンの
手料理を楽しみにボクの家に集まるようになった。東京に出てきて初めて幸せを
感じ、楽しい日々が続いた。
しかし、つかの間の幸せに忘れたふりをしていても、ボクが恐れる「いつかやって
くる日」は、確実に近づいていた。・・・・以下省略させていただきます。
オカンの日記の間に挟み込まれてあった1枚の紙切れに 次の短い文章が残され
ていた。
母親というのは無欲なものです
わが子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです。
昭和33年というと、六大学野球のスターだった長嶋茂雄が巨人軍に入団。
背番号3番の活躍に日本中が沸いた年でした。
同年12月、世界最大のテレビ塔として完成した東京タワーは、高度経済成長
に向けて日本が飛び出すためのロケット発射台でした。
そして現在、デジタル放送への移行に伴い、もうすぐお役御免になる(?)その
美しい姿は、どこか リリーさんのオカンに重なって見えるのでした。 

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