当時ウサギ小屋があった。
アンゴラウサギの柔らかい毛を売っていたのだろうか?
約4間程の長さの納屋のようなものを兼ね備えた小屋だった。
隣には便所があった。
その頃は便所の建物が外にあるのが普通だった。
いつものように小学生の兄と遊んでいた。
兄は突然ウサギ小屋の壁をつたい、屋根に上がった。
僕も真似をして屋根に上がった。4歳ごろの子供には、その掴むべき柱の幅もきつかったはずだが、どうにかして上ったのだろう。
その屋根から見下ろす広い原っぱのようになった庭の景色を覚えている。
その後何度も見る写真の記憶なのかも知れない。
兄が屋根の上を走ったりしている。
ボクも真似をして走った。
良く平気だったものだ・・・。
兄が助走して、隣の便所の建物に飛び移った。
建物の幅は一間ぐらいだろうか。ウサギ小屋からの距離は今にして思えば5〜60cmぐらいなのか・・・?
ボクはそれを真似して兄の後にウサギ小屋を走りジャンプして便所の建物に飛び移った。建物との間から一瞬下が見えたが、それは快感だった。
子供心に空を飛んだような感じだった。
狭い便所の建物の屋根に子供二人が立っている・・・。
いかにも子供らしい遊びだ。
しばらくして兄がウサギ小屋にポンとジャンプして戻って行った。
ボクもその後に続いてウサギ小屋に戻ろうとした。
その時に気が付いた。
便所の屋根の幅では助走距離が無い事を・・・。
今度は建物の間から見える地面が恐怖に変わった。
兄がウサギ小屋から呼んでいる。
ボクは何度もためらい、飛べずにそこに立ち竦んでしまった。
そして、恐怖で大声で泣き出してしまった。
その声を聞きつけたのか、父と母が家の方から走って来た。
ボクは怒られるという思いで、先にウサギ小屋に行ってしまった兄をうらんだ。
父が下で静かに言った。
陶ちゃん
大丈夫だ・・・そこに行けたんだから戻ることもできる
助走距離が無いんだけど・・・
四歳児はそう思っていた。
陶ちゃん大丈夫だ
もし落ちたら、父ちゃんが下で受け止めてやる
大丈夫だ・・・飛んでみろ!陶ちゃん!
飛べ!陶ちゃん!
涙目で下を見ると父が手を広げてボクを受け止める姿勢をとっていた。
もう、飛ぶしかなかった。
建物の端に恐る恐るバックし、そこから少し走ってウサギ小屋へジャンプした。
ボクはウサギ小屋に無事生還した。
口から出そうになっていた恐怖がゆっくりと溶けて行くようだった。
父と母が下で笑っている。
ほ〜ら、飛べたじゃないか!
陶ちゃん、やれば、何でもできるんだよ
今にして思うと、本当にたいした距離じゃなかったんだろうし、屋根の高さもそんな大したものではなかった筈だ。
だが子供心にはそれは大変な出来事だった。
披露宴の参加者を乗せたマイクロバスが一人ずつその参加者を降ろして行った。みんなボクに会釈をして家に帰っていった。
そうか・・・ボクが5歳半ばの時に逝ってしまった父は、そんなに優しい人だったのか・・・。この離れた土地でいまだに語られるほど父は・・・親父は・・・。
飛べ!陶ちゃん!
大丈夫だ!
父ちゃんが下で受け止めてやる!
その声が、その肉声が記憶にあるのだ。
フィカルの記事を読んで、そんな記憶が呼び起こされたよ。