信じられないかもしれないが、当時は町立の小学校の運動会にもテキヤさんの屋台が入っていた。
今と同じような派手な暖簾で焼そばなどを焼き、いいにおいをさせて売っていたものだった。
ある意味公民混合だったのだろうか?
つまりお祭り的要素が多分にあったのだと思う。
昭和40年代になると、各公的イベントから彼らは排除された。
運動会などは授業の一環なのだという方向になってきたのだと思う。
そして、ブログの仲間がUPしているような家族でお重を囲み、ゴザやムシロの上でお昼を食べる、という習慣も中止された。
児童はお昼になると教室に戻る。
しかも普通の給食だったような気がする。
家族は所在無げに、グランドの周りで持参の弁当などを食べている。
授業の一環だから・・・。
つまりハレの日では無くなったのだ。
そんな年の秋の運動会だった。
家族と一緒にいる、という習慣の無くなった児童は、ある意味束縛から逃れ、自由になって行ったように思うがどうだろうか?
家族的なものがあらゆるものから消えてゆく・・・。
そんな運動会だ。
自分のクラスの場所でボクは女子のWさんとふざけていた。
なんか爆笑しあっていた。
たぶん、楽しい時だったのだろう。教師もその時間はグランドにいなかった。家族もいないのだから、友達との密度が濃くなってゆく。
そんな時に、めったに運動会などに来たことのない母が突然やってきた。
児童だけで遊んでいる場所に。
時間が出来たから来たよ
そう言ってボクとWさんを見た。
誰も親なんて来ていないのに・・・。
母の手にはアイスクリームの入った袋が握られていた。
ボクに食べさせようとしてそれを持たせた。
そして母は帰っていった。
Wさんとボクはなんだか気まずかった。
Wさんが言った。
早く食べちゃえば
うん、といってアイスのフタを開けた。
アイスはだいぶ溶け掛かっていた。それを飲み込むようにボクは食べた。
Wさんがなんだかずっとそばにいた。
たぶんアイスを食べたり、おやつを食べる事が既に禁止されていることから、見張っていてくれたんだと思う。
一人でアイスを食べているボクの気持ちは複雑だった。
トテツモナク恥ずかしかったのだ。
そのとき、また母がこちらに戻ってきた。
陶ちゃん(違うけど)これ・・・
母はバッグからマーブルチョコレートを出してボクに手渡そうとした。
少し気持ちが荒れていたのだろうか?ボクは
いらないよ!
マーブルチョコレートを持った母の手をはねのけた。
その拍子にマーブルチョコレートのフタが開いて、土のグランドに七色のチョコレートが飛び散った。
母は
あっ・・・
と言ってそれを拾い出した。
Wさんも一緒に拾い出した。
ボクは多分怒ったような顔をしてそれを見ていた。
Wさんが拾い集めたチョコレートをボクに渡した。
母も拾ったチョコレートに息を吹きかけて土を落としながら、マーブルチョコレートの円柱の箱に戻してボクに手渡した。
Wさんは
陶ちゃん・・・もったいないよ〜
一緒に食べよ〜
アタシにもチョウダイ!
土の付いたチョコレートをボクの手からつまんで食べた。
母は、Wさんとボクに
じゃぁ・・・
と、今度は本当に帰って行った。
Wさんの気遣いは、チョコレートを拾う母のある意味、貧乏ったらしい姿を見てしまったからなのだと思った。
ボクは顔を赤らめていたのだろうか?
Wさんの優しさが少し辛かった・・・。
何故なら彼女は、今にも泣き出しそうな真っ赤な目をしていたからだった。