よかよ。  

ふと閃いて、どうしてもあの回のスクリプトを読みたい。
あのとき、どんな曲を使ったのかも。
探していたら、自分の昔と遭遇した。
10年以上前、ネットラジオ局のジャズ番組のパーソナリティを務めていた。
そのときの番組のいくつかがアーカイブとして残され、今も聴ける。
かくして、探し物は見つかった。

私の人格形成に一番影響を与えてくれた人は、きっと血のつながらない曾祖母だと思う。
自身に子供がなく、(会ったことのない)曾祖父の後妻として60を越してからの結婚生活だったようだ。
100歳まで生きたが、どんな人生を送ってきたのか、実はあまり知らない。
語ろうともしなかった。
ひ孫である私と姉は、とにかく可愛がられた。
働いていた母に代わって、昼間はずっと曾祖母と暮らしていたといってもいい。
姉とは4つ齢が違い保育園にも行っていたから、私が曾祖母とふたりで過ごした時間は濃密だっただろう。
時は優しく、かつ残酷だ。
無償の愛を注いでくれた曾祖母に、私は時に生意気どころか、”それは言ってはダメ”の言葉を投げるようにもなった。
土曜日は、私が学校から帰ってくるまで、ひたすらお昼を食べずに待っている。
友だちと勝手に遊んで帰ってくると、まだ待っている。
”いい加減にしてよ、そんなに待たれるとこっちが参っちゃう”
あっ、いけない。言葉を放った次の瞬間、祖母はちょっと悲しそうにコタツから御櫃(おひつ)を取り出す。
ご飯を温めて待っていてくれるのだ。
気が付けばいつもそうだった。
すべてのことをそんな風にして迎えてくれた。
あまりにも自然で気づかないくらいに。
どうして、こんな酷いことを言ってしまうのだろう。
どうして、まずありがとうって言えなかったのだろう。

少し経って、 
”おばあちゃん、さっきはごめんね、せっかく待っててくれたのにごめんね”
そんなとき、還ってくる言葉は、
いつも優しい ”よかよ(いいよ、いいよ)”
ただその一言だけ。

私達が生まれて、幸せだった時期はあっただろう。
初めての子育てで張り切っていたかもしれない。
しかし、その分たくさんたくさん傷ついてきただろう。
それでもいつも明るく淡々と変わらなかった。
さまざまを静かに、心のどこかに置いておくのが上手な人だった。
よかよ、は曾祖母からもらった無形の永遠の宝物。

探し物は、まわりまわってそんなことらしき?ともいうのだろうか。
いつも空から曾祖母が見ていてくれる。





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