”しっかり”だけの寄り切り。

2021/6/2 | 投稿者: Maysico


様々な意見があってこそと思うので書いてみる。
いつの頃からか、いわゆるお上の発言において”しっかり”という言葉が連発されるようになった。
失礼ながら、他の言い方はご存じないのだろうか?と辟易する。
しっかり、とは
堅固で安定しているさま、また、確実、着実であるさまを表わす、といった意味だそうだ。
意思(意志)を持った言葉であるが、状況に応じて必要な目標、施策、どうしてそうするのかについての考え、ひいては科学的な根拠や実験結果などを述べることが必須なのではないだろうか。

お上というのは、
国民の代表であり、国民が少なくとも最低限、健全で幸せに暮らすための仕事をする人たち。
代弁者であることが、代議士、政治家というもの。
と私は考えているのだが、違うのだろうか?
違っていなければ、国民の意見に耳を傾けることが大事な仕事のひとつ、いや、一番大事な責務でもあるのだと思うが、違うのだろうか。

またこの世の中は、常に赤を赤だという意見の人たちだけでは決してないしあってもいけない。
それは歴史が証明してきたはず。

少なくとも、
他者の意見に耳を傾けた上で、何かを決めるということは、いわば、社会が社会である最低のルールではないのだろうか。
そんなルールの上で決まったことならば、時に全てを受け入れることができなくても、自分の身の処し方を考えることはできる。

何だかすべてが猪突猛進、しっかりだけで、押し切られようとしている。
相撲でいくと、寄り切り。
寄り切られてしまうのは、我々国民の無関心さの歴史の責任も半分。
これからどんな未来になっていくのだろう。




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