トラックバックをいただいたので思うところをちらほらと。
とりあえずはこちらを見てくれい↓
「イモ掘りについて、橋下知事に脅迫状!」
http://wind.ap.teacup.com/netuyo/776.html
ああ、そんなことを言う人がいるのか、と思って唖然とする。
「そんなこと」がどんなことなのかはこちらを↓
『子どもを泣かせる橋下徹・大阪府知事の行動と態度』
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-946.html
>橋下知事を支持するこういう↑意見を見て思うのは、こういう意見を持つ人は、権力を使って人をおさえつけるのが好きで好きでたまらないのだなということです。橋下もそうですが、一つ一つていねいに説明して了解を求めていく姿勢ではなく、とにかく他人を抑えつけたいという気持ちが主張の端々ににじんでいます。<
ふーん
へー
ほー
というのが最初の感想。
ま、思ったことをつらつらと書いていきましょう。
5年にもおよぶ説得にも応じない方はどうなってるのだろうか、という事が一つ。
「一つ一つていねいに説明して了解を求めていく姿勢」と言われるが、5年は意味がない、ということだろうか?
まあ何年説得しようとも了承できなような無理を押しつけてるならともかく。用地の接収にはそれなりの金を出したんじゃないのだろうか、と思うのだが。その辺りどうなってるのだろうか、というのが一つ。
それでも首を縦に振れない事情とは一体何なのか。その説明はどこにあるの?
>私は、行政機関や国会や司法に与えられた権力は、民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されているものだから、そういう権力を主権者である国民に対して強権的、抑圧的に行使しては絶対にいけないと思っています。
国民(住民)に一方的な我慢を強いる政策をどうしても実施したければ、当然法律的、政治倫理的に瑕疵がないことが必要だし、民主主義原理から言って住民に対するていねいな説明が必要だし、なによりも、行政側に謙虚さが必要でしょう。
というか、国民(住民)に一方的な我慢を強いる政策は本来あってはいけないのですが。<
と同時に
「国民(住人)」にも「
行政機関や国会や司法」に対するある程度の妥協は必要という事だな。
何せ
「行政機関や国会や司法」は
「主権者である国民の代理として付託されている」存在なのだから。相手はより多くの
「主権者である国民の代理」なのだから、
「国民(住人)」はこれに対して相応の
「謙虚さが必要でしょう。」
という事でよろしいだろうか?
今回は
大阪における「道路用地買収」についての問題だったはず。
これに反対するということは、多くの
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民」の利益に反するのではないだろうか?
この道路がドイナカの、それこそ一日何台かの車が通る程度の場所であったならば、「こんな道路いらねー!」って話ですが。
しかし日本の主要都市の一つである大阪ですから、それなりの道路は必要でしょう。それを整備しないのは、むしろとんでもなく非効率であり、大阪の活動を低下させてしまうのではないかと危惧するところ。
うーん、多くの
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民」の利益はどこにいったのだろう。
まあ、
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民」の利益なり権利なりというならば、ごく少数の人間の利益だけでなくもっと大きくとらえて物事を見てもらいたい、というところ。
その上で、今回の出来事がどうしても
「国民(住民)に一方的な我慢を強いる政策」だというならば、その説明を願いたいものです。
おいらは
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されている」という
「行政機関や国会や司法」ではありません。
しかし、
「民主主義原理から言って住民に対するていねいな説明が必要だ」というならば、是非とも
「ていねいな説明」を求めるたいものです。
今回の出来事で不利益を被ってるのは、畑を潰された幼稚園児だけではないだろう。
そこに道路を通すことで、活性化したり効率が良くなるはず道路事情の利益を失ってるより多くの人々がいる。
それらの人々への説明はどうしたのだろうか?
あるいはこの道路が不要であるという意見はどこにあるのか?
幼稚園に対する損失というならば、幼稚園に支払われた(あるいは支払われるはずの)金額はどの程度だったのか、市場の値段に対してどのくらいだったのか?
幼稚園児の畑というが、その畑がここ数年間ほど使われてなかったという話は真実なのか虚偽なのか、その説明は?
「主権者である国民に対して強権的、抑圧的に行使しては絶対にいけないと思っています。」
なるほど、そういう考えか。
また、
「行政機関や国会や司法に与えられた権力は、民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されているもの」
とも考えているか。
ならば、
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されて」いる
「行政機関や国会や司法」に対して
この幼稚園は何をやっていたのか?
是非とも説明を願いたいところ。
いや、是が非でも説明してもらおう。
このブログをやっておられる方の言ってる事を突き詰めて言うならば、主権者の意志を反映してる行政機関などに対しては相応の説明が必要なようですから。
民主主義民主主義というならば、国会も行政機関も司法も全部国民の代表である。
国民の代表だから国民に逆らうな、とも言える。
そして、国民の代表だから従わねばならない、とも言える。
使ってなかったという畑を用地として買収する。それに対してごね続けた幼稚園側。一方邸に行政だけでなく、幼稚園側の説明も要求しよう。
それが
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されている」行政機関である大阪府による用地買収に抵抗していた幼稚園側の責任だろう。
違うのかね。
「主権者である国民」を理由にして
「民主主義の原理にもとづいた主権者である国民の代理として付託されている」「行政機関や国会や司法」を屈服させるのが好きな人と、権力を強権的、抑圧的に行使することはいけないと思っている私とでは、そもそも出発点からしてすれちがっているなと改めて思いました。
**感想**
実に一方的な見方ですね。
加害者が大阪府、被害者が幼稚園、という図式を作りたいのが見え見えです。
その一方で、道路がいつまで経ってもできあがらない、それによって流通が非効率化する、という事は考えないのでしょうか?
それともこの道路が不要だというのでしょうか? もし不要ならば相応の理由を説明するべきでしょう。
それとも、「私は行政でもなんでもありません」とでも言って説明をしないつもりでしょうか?
「国民に権利を付託されてる人間ではない」から説明する必要は無い、とでも言うつもりでしょうか?
ありえる話です。
あるいは「行政側はもっと誠意を持って説得するべきだった」とでも言うのでしょうかね。
では誠意のある説得とはどんなもんでしょうか。それこそ見る人によって変わるでしょう。
こちらとしては五年も説得に回っていた大阪府はとても誠意を見せていたと思いますが。どこぞで折り合いがつかなかったものか、と思います。
何にせよ幼稚園の畑と言ってた場所ですが。この畑、ここ何年間か全く収穫してなかったということ。畑として使ってなかったとのこと。
これが本当ならば、「なに嘘ついてんだよ、幼稚園」ということです。
その辺りの詳しい情報を求めたいところ。
今のところ大阪府を擁護する方からこの点についての指摘は読んでません。是非幼稚園擁護派の方からもこの辺りの事実確認をお願いします。
他に何かあるかな?
今思いつくのはこんなところだけですので、とりあえずここで失礼したいと思います。

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