・・・鴻鵠之志哉

2006/9/20 | 投稿者: ghost

昨日の続きである。

*     *     *

Caldia氏ぐだぐだ日記9/15付(リンク先はログ流れ保全のはてなブックマーク)において以下のように提案する。
自己主張するのは別に悪いことではないし、インターネットを通じて公開しようと言う志はいい事だ。
ただその公開しているレイアウトなんかの情報を初心者やこれからVRMを始めようとする人が見て果たしてわかり易いか?
と言う問題が出てくる。
BBSや掲示板もページごとにあったりして全員が集う共通の場がない。
他人のレイアウトを見たいのにあっちこっちページを行き来した挙句、二つ三つのレイアウトしか見つけられなかった、と言う状態に今は陥っている。
じゃあそれらを統合した総合サイトを作ったらいいんじゃないのか?って言うのが私が今回言いたいこと。

傍線部は引用者による
Caldia氏の提起している問題の方向性は基本的に正しい。ボクも、そして45-50s氏も繰り返し警鐘を鳴らしてきたテーマである。それを認めた上で「それらを統合した総合サイトを作ったらいいんじゃない」には、反対票、とまではいかないが、疑問を呈しておく。なぜか?

以下、例によってキツいことを書くので(Caldia氏に対してではない、念のため)覚悟のある人だけ読むように。


2回に分けたエントリのタイトルを続けて読むと「燕雀安知鴻鵠之志哉」になるのは既に皆さんお気づきのことであろう。

まことにもって残念なことではあるが、自覚なきアクセス厨である「燕雀」は、決して「鴻鵠之志」を理解しない。だから、仮に「統合サイト」とやらを作ったとしても、そこに書き込まれるのは自分のweb/blogへ読む人を誘導しようとする悪意なきSPAMだ。それを規約で禁止したら、誰もそこには何も書かないだろう。

あるいは善良なる編集者が彼の責任においてコンテンツを書くか。遅かれ早かれ「誰かが取り上げられて誰かが取り上げられないのは差別だ、えこひいきだ」という話になるに決まっている。それも努力で回避はできる。しかし、燕雀はそれを自分が参加し支えている「統合サイト」とは認識しない。自分ではない「誰かのWebサイト」と認識する。所詮、燕雀とはそういうものなのだ。

この点について、おいちゃん氏が雄弁に語っている。
しかし こういう趣味の世界で連帯感を求める人の方がおかしいのです。こういう世界は,人と違って当りまえ 自分の世界なんだから「下手だろうが上手かろうが俺のが一番」なんですな

「みんな 建前上 自分にない物 出来ない物は,誉めるが 内心 自分の作った作品が一番だと思ってる」 これ 本音だとおいちゃんは,思ってるが こういう趣味の世界は,これが なければ 成立たないし 商売にもならないと常々思ってるのですが どうでしょうかね。

ボクの言う燕雀とは、まさにこういう視点のことだ。おいちゃん氏が燕雀だと言っているのではない、念のため。これをメタ的に語れる人は、いつか自らそれを克服するだろう。現時点では愚痴にしか聞こえないとしても、だ。

さて、ここからが最も申し上げたい部分になるのだが、ボクは「だから燕雀は駄目だ、アクセス厨なんか死んじまえ」と言いたいのではない。志ある鴻鵠にとって、回りに燕雀しかいないことは所与の条件なのであって、それを嘆いても意味がない。否、それを嘆いていては、それは鴻鵠ではなく燕雀の所業である。真に鴻鵠であろうとするのであれば、周囲には燕雀しかおらず、決して燕雀は鴻鵠にはならないものだ(無論、例外はあるが捨て置く)という前提で、それでも目的達成可能な方法を考えなければならない。

つまるところ、「統合サイト」なるものは、鴻鵠(及びその卵)と燕雀の間に「壁」を作るだけの試みであろう、とボクは思う。統合サイトという枠の内部においては、当然のことながら鴻鵠が目立つ。それは燕雀の望むところではない。本当は連帯感の中心に居たいのに、それが出来ない(そのための努力をするつもりがない)から、連帯感自体を否定せざるを得なくなる人が出てくる。その方が本人にとって楽だからだ。

否定には努力がいらない。燕雀は常に、無自覚に、自分にとって楽な方へ、楽な方へ、と進む。実はその「楽な方」はまったく誤解であって、大抵はよりその人を苦しい立場へ追い込むのだが、本人は気づかない。それを誰かが指摘しても、指摘を聞くこと自体が本人にとって楽ではないので耳を塞ぐ。馬の耳に念仏、猫に小判。

で、ボクが言いたいのはこうだ。ネットVRM界隈が極めて非効率であり、個々の創造力が無駄に消費されているというCaldia氏の現状認識は正しい。同時に、その個々の創造力は「俺様が一番」というアクセス乞食的自己顕示欲に依拠しているというおいちゃん氏の指摘も、これまた正しい。真に自らを以って鴻鵠たらんと願う者は、この両氏の表裏一体の真実こそを「統合」する方法を考えるべきである。馬には人参、猫には鰹節。

おいちゃん氏が「人と違って当りまえ」と言うように、個々のVRMユーザーは目的も手段も異なるのだから、1つの枠組みでもってそれを饗するのは不可能である。それが魅力的なプランに見えてしまうのは、鴻鵠自身が無自覚に「楽な方」へ流されている証拠であり、厳に自らを戒めなければならない。

繰り返すが、燕雀は燕雀であって良い。それも生き方だ。それに不満を覚え、もう一歩前進したい人だけが、敢えて苦労を背負って鴻鵠を目指せば良い。そして鴻鵠は、まず、燕雀は燕雀のままであって良いことを認めねばならない。燕雀が燕雀のままであっても参加でき、その力を発揮できる場、すなわち、彼らが「楽な方」へ流れた結果としてネットVRM界隈の活性化に繋がるような場、を提供できてこそ、真の鴻鵠である。

*     *     *

正直に言うが、ボク自身「では、どうすれば良いか?」は今もって皆目見当がつかない。事実、ボクがこれまでやってきたことは、まさにこのテーマを巡っての試行錯誤であり、それを次世代の鴻鵠たらんと志を掲げる人に引き継ぎたくて、こうして書き残してきた。なぜなら、ボクが旗を揚げた時点で、前世代の人はそういうことを記録に残してくれていなかったからだ。

ボクは既にこの試みに敗北し、ゆえに引責出家してVRM入道と号した。ボクは諸兄の踏み石であって目標ではない。その踏み石の1つとして、自覚なき燕雀諸兄からご不興を被ることを覚悟の上で愚論を披瀝しておく。願わくは、自ら鴻鵠たらんとする若人の一助とならんことを。
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