早いなあ…
でも、午前中の練習は高校時代を思い出す。
あの頃は、ほぼ毎朝8時に学校へ行き、時間ギリギリまで朝練。その後はほぼ昼まで部室で仮眠…と言う名の睡眠。学校行ったついでで、軽く午後の授業を受け、その後は19時頃まで部活(居残り練習含む)。その後はガソリンスタンドへバイトにでかけ、帰宅は午前0時を過ぎる事などざらだった。朝は6時起床。それから新聞配達…
夏はまだいいが、冬はこれまたかなり辛い。自分の故郷は、早朝は-10℃。日中でも-1℃くらいまでしか上がらない。特に早朝の新聞配達は、積雪のため夏場の1.5倍〜2倍の時間がかかる。そのため、くそ寒くてベッドから出たくなくても、5時半までに起きなければ間に合わない。さらに朝練は手がかじかみ、顔の筋肉も硬直してしまい、トロンボーンを吹くのも一苦労だ。広い部室に暖房を入れても温まるまでに1時間は要してしまう。言ってしまえば冬場(寒いところ)にトロンボーンを練習するには、そのための練習が必要かも知れない。
上京してそろそろ7年。音楽を本気でやりはじめた頃には、すでに上京を決めていた。親の反対は全くなかったため、後は突き進むのみだった。まさに、トロンボーンを吹くための高校生活。一応は進学校であったため、周りは大学受験の事で頭がいっぱいになっていて、自分に対して教師からの干渉もあった。というのも、成績が学年でケツから数えて2、3番目なのだから干渉されても仕方ない。高校生活で勉強をしたことなど果たしてあったかどうかすら覚えていない。勉強の事で覚えていることと言えば、煙草がバレて父兄召喚され、教頭に「大学に行こうとしないでヤツはこの学校にいる資格はない(煙草は関係ないけど成績の事も引っ張り出された)!!」って言われて、自分が食ってかかる前にうちのおかんが教頭に激怒してた。あまりにもキレっぷりが激しかったから、自分がおかんをなだめていた記憶がある。最終的には教頭が「言い過ぎた」とかで逆にこっちに謝罪してたっけ。あれは良くわかんなかった。
もちろんその後、おかんからしこたま怒られ、オヤジからは殴られ、停学の部活停止(自分だけ)と散々なメにあったが、いい思い出だ。でも、おかんが教頭をぶちのめしてる時は泣きたくなるくらいに嬉しかった。
初心忘るべからず、だ。故郷のそんな思いを無にしないために、自分のために相方の活源のために、「悟空と活源」はなにがなんでも成功させてやる。自分はこの「悟空と活源」にかけている。それは、相方への理解と相方への信頼、さらに音楽をやることの喜びとそれを追究する楽しさ。この抽象的な要素を形にできる、唯一の組織に自分が巡り会い、また、自分がその組織の一員だからだ。

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